あなたの話、もっと聞きたい
10月某日。
やってきました、御食事ゆにわ。

鋭いあなたはこう思ったかもしれません。
「え? 前にディナーへいっていたところ?」と。
その通りでございます。
今回の大阪滞在で、ディナーもランチも楽しんでしまおうと、どちらも予約いたしました。

今回ランチに付き合ってくれたのは、京都にお住まいのお客様、Aさん。起業女子です✨
下の記事でもご登場くださっています。
2月に京都でお会いした時、私思ったんです。
「Aさんのお話、そういえばあまり聞けなかったわ」
なぜなら、Aさんは聞き上手。
聞き上手というのは、最上級のコミュニケーションスキル。コミュ強。
ゆえに、話をふったり引き出さないでいると、その方は聞き役に回ってしまってつい話を聞きそびれたりします。2月もそんな状態であることに、あとから気づきました。
「今度はAさんの話、聞きたい」
そう思った私は、今回の大阪滞在に合わせてランチできないかとAさんに打診しました。そうしてスケジュール調整がついて、御食事ゆにわランチと相成ったのです。感謝😊
さて、今回のランチのテーマは「秋の恵みで体を温める」。
いのちのごはん、いのちのランチ。
おいしそうだし、何より元気になれそう。
私たちは期待に胸を弾ませ、お食事ゆにわの店内に入りました。
人と人が逢う時、そこには意味がある
まず出てきたのは、かぼちゃのスープ。
ここで面白いのは、ランチのおにぎりはフリー。
取りたい放題、食べたい放題。
――ではありますが、他のお料理が入らなくなってしまっては困るので、とりあえず一つだけいただきます。
スープで心を温めた私たちは、さっそく近況報告に入ります。
Aちゃんは、今経営のことで少し悩みがあるようで。
その話を聞いていた私は驚きました。
「えっ。その話題……私、午前中に会った人としてた」
魂を満たす経営~師と出会う喜び

その日ホテルをチェックアウトした私は、ゆきてかへらぬというお店でパンを買い、シロフクコーヒーというカフェで一息ついていました。

そんな私の耳に入ってきた単語が
「フリー素材」。
えっ、フリー素材?
フリー素材の人!?
――詳細は省きますが、実はその前の日見た動画で出てきた方が隣に座っていたのです。
その動画で大きな気づきを得た私は、彼に感謝を伝えたくて話しかけてしまいました。
「あの、フリー素材の方ですか?」
「そうです、僕がフリー素材です」
彼は27歳の経営者。大学在学中に起業したそうです。
とても気持ちのよい青年で、聡明で、人に好かれる人なんだなとすぐ伝わってくる雰囲気があります。
実際、多くの経営者や資産家との人脈を築き、20代半ばで富豪の世界をのぞいてきた、非常に濃い人生を送ってきた方です。

きらびやかで豪華で、目もくらむような富の世界。
そんな世界で華々しい人とたくさん出会ったそう。
そして、富豪たちが心を開いてくれる距離に来た時に、彼に告げた言葉。それは、なぜか同じ。
みんな同じことを口にするというのです――。
「さみしい」
「誰も信用できない」
「お前は俺みたいになるなよ……」
衝撃です。
だって「こんな風になれれば自分は幸せになれる」と憧れていた相手が、孤独を抱え人間不信に陥っている――幸せそうには見えなかったからです。
じゃあ、自分はどうやって生きていったらいいんだ。
もう事業をバイアウトしようか。
FIREして田舎で農業でもやろう。
そう悩んでいた時、彼は一人の経営者と出会います。
今、彼が師の一人として尊敬している人に。
その人は、社会的な成功もおさめ、人間的にも豊かなつながりを構築して生きていました。彼は聞きました。
「どうしたらあなたのようになれるんですか?」
その経営者は答えました。
「志だよ。志を持ちなさい」
魂を励まし合うために、人は会う

その話をすると、Aさんは「うわあ」と息をのみました。
「シンクロでしょ」
「シンクロです」
「やっぱり、こうやって会うってことは意味があるのね」
「私たち、似たフェーズにいるんですね」
「そうそう、だから会うの。そして『その流れでいいんだよって見えない存在から言われてる』って確認するわけよ」
これ、実はセッションでもそうで。
お見えになるお客様は、何らかの形でその時の私と同じテーマを持っていらっしゃいます。ですから、お客様だけのテーマではないのです。私自身のテーマでもあったりします。
更にいうと、同時期に同じテーマのお客様が続くことも珍しくありません。
例えば、以下の記事に書いた通り「また(占い的に)この配置のお客様が来た」ということはよくあることです。
あと、単純に名前が同じ人が続くこともあります。
「今月3人目のマリコさんだ……そして来週もマリコさん、来るんだけど……」
「なんでこんなに沢田さんばかり来るんだろう……」
こんな具合です。面白い。笑
そんな話をしながらいただくサラダは、カラフルで美しい。エディブルフラワーが素敵。
これは女子大喜び。
目から心がほどけます。
おにぎりをとりあえず一つでとどめておいたのは、この土鍋ごはんが来るから。
上の動画で見ていただくとわかる通り、テーブルに土鍋を持ってきて、お茶碗についでくださいます。
ふわっふわのお米が立ってるごはん。
土鍋から茶碗へと盛られる様子を見てるだけで、幸せ。
日本人で良かった。

メインはシーフードカレー。
北海道民の私としては、スープカレーっぽくて馴染みがあります。
しかしそれを雑穀ごはんと合わせたことはありませんでした。これが調和する不思議。まあるいお出汁の力なのでしょうか。
ここでAちゃんが目を輝かせます。
「この梅干し、美味しい……!」
そうなんですよ、梅干しもゆにわのスペシャル食材。ゆにわには「梅部」があるくらいです。
「じゃあ、帰りにゆにわマートに寄っていこうよ」
「えっ、近くにあるんですか?」
「うんすぐそこ。そこでこの梅干し売ってるから」
「そうなんだ! じゃあ行きましょう」
おなかもふくれてきた頃、Aさんはほう、とため息をつきました。
「こうやって……ごはんをゆっくり味わって食べるって、本当にいいですね」
「うん……しあわせだね……」
このランチ、私たちは終盤に行けばいくほど言葉少なになっていきました。
しみじみ味わうと、無言になります。
でも、その無言は気まずいものではなく、豊かでやさしい沈黙です。
たべもののあたたかみに、ふわっと触れる。
秋の恵みは、私たちの心をやわらかく包んでくれました。
このあと京都へ帰ったら、すぐ仕事の打ち合わせが入っているAさん。
心を亡くすと書いて忙しい。ならば、心を取り戻すに必要なのは、おだやかな食事の時間なのかもしれません。
ひたすら、食べる。
ただ、食べるだけ。
その行為が、人の心を中庸に戻してくれる。
私の母方の先祖の地、富山県利賀村。
そこには「ただ食べるためだけのレストラン」があります。
周りには何もない。
ひたすら山奥。
そんな土地で、食べるだめだけにお客は泊りがけでやってきます。そしてただ食べて、帰っていきます。

こんなレストランに客が殺到し、予約困難店になっている。
北海道民の私からすると「何が悲しくてそんな雪ばかりのところに行くのだ」などと思っておりました。
しかし、ゆにわの食事を経験した今思うのは、この「ただ食べる」という行為は、深い気づきや癒しや、下手をすると悟りにすら導く行為なのかもしれません。だから、人が求める。人が集まる。
ただ、こういった素晴らしいレストランで「ただ食べる」を体験した後に大切なのが
「これって、実は日常の食事でもできることでは?」
と気づくことかもしれない。そう私は思います。
その体験をもとに、日常のごはんにも感謝をささげる。
食べ物ってこんなに私たちに愛をくれてるんだ、と感謝する。
こういった「ハレの日の食事」をするのは、そのきっかけをくれる――そんな風に想ったりします。
デザートは、ラムレーズンアイス。
はじめに店員さんから「お酒は大丈夫ですか?」と確認されます。ラム酒をふんだんに使っている一品なのです。苦手な方には、お酒を控えたものを出してくれるようです。
これ、不思議な一品で。
上手く表現できないんですけれども、レーズンがなんかレーズンじゃないのです。いや、レーズンなんだけど、ぶどうっぽいというか……いや、レーズンはそもそもぶどうなんですけれども……。深刻なる語彙力不足。
はじめて食べた味。もちろん美味しい。お酒がしっかりきいている、大人の味ですね。
札幌は夜パフェの文化がある土地。お酒を飲んだ後にパフェを食べます。だから、このアイスは、札幌市民だったら夜に食べたくなる味ですね。笑
こちらはパティスリーゆにわのパティシエが作られたそうです。
売ってたら、買います。リピしたくなるお味。
確かめ合って、また別れる
短いランチの時間を共有し、樟葉駅へ。

あっという間にお別れの時間です。
でも、魂は確かめあいました。
「今、私たちが向かっている課題は、確かに自分を成長させてくれるものだよね」と。
バリューを出さなきゃならないのは、しんどいこともあるけれども!笑
私たちは、改札を通って笑顔で別れました。
「次は、京都で会おうね」
素敵な時間、素敵な空間、素敵な食事に心から感謝します。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




