年齢とともに変わる課題~新しいステージに見合う品格とは

北海道
ぽーさん様からの
体験談

先日カウンセリングを受けたぽーです。
ありがとうございました。

約1年程前にも同じくカウンセリングをお願いしました。そのアドバイスを生かして日々奮戦しておりました。

そんな1年間を過ごして最近、周りの環境の変化の速度が速くなり、対応に追われる毎日に。「自分の人生は良き、悪きはあるがちゃんと進んでいる」と思っていても戸惑い、安危、自分の至らなさで見込み通りの立場じゃなくなるかも・・と弱気になりました。そこに喝を入れてもらおう!と再度セッションの申し込みをしました。

頂いたメッセージは「仕事だけじゃなくて全てにおいて、己がが築いてきた経験を未来を担う人へ継承すること。そのために新しい環境が用意されている。ステージアップした価値観を受け入れるために、余裕とくつろぎを自分の内に作るように」でした。

自分の仕事を部下に引き継いでいく経験を通して、仕事面では意識していたつもりでした。
しかし、まさかプライベートにまで、そのテーマが貫かれているとは!

今ある現状全てがつながっているとまでは考えていませんでした。
すごい気づきでした。
全ては意味があって起こっているのだ、と。

カウンセリング前にも周りから「優しいのはいいけど、これからは優しいだけじゃダメ」と指摘されることがたびたびありました。

新しいステージに見合う威厳、品格を得るために行動していきます!
今回も充実した時間を頂き感謝いたします。

Lindenbaum様がリニューアルしてから初めてのカウンセリングでした。今までは対面でセッションを受けてきましたが、オンライン(今回はGoogleMeet)での遠隔セッションでも対面と変わらないセッションでほっとしました。
ありがとうございました。

Nozomiより

ああ、深い。
深いですね。
やはりキャリアや立場のある方の言葉は違います。

私今、ネットフリックスのドラマ「極悪女王」を追いかけているんです。
その中で長与千種さんの言葉が刺さりまして。
長与さんは、現在マーベラスというプロレス団体のリーダーです。

調教師(競馬の厩舎のリーダー)蛯名正義さんも「言いたくないことを言う先輩」でした。

 自分は現役時代、かなり口うるさく後輩ジョッキーたちに危ない騎乗について注意をしてきました。そんな私のことを面倒な先輩だと思っていた後輩もいたことでしょう。でもたとえ周りから嫌われたとしても、岡(潤一郎)や玉ノ井(健志)のように落馬事故で亡くなる後輩を、自分は見たくなかったのです。

【蛯名正義コラム】続く落馬事故…元ジョッキーの先輩として後輩たちに伝えたいこと | 東スポ競馬

ここ。
これなんですよね。
これがあるから「優しいのはいいけど、これからは優しいだけじゃダメ」なんですよね。

人を育てる、いや、人だけじゃなくて犬でも猫でも馬でもそうですよ。その環境の中で適応できるよう教え導くのに、優しさだけでは片手落ち。優しさも必要だけれども、優しいだけでは上手くいかない。言いたくないような厳しいことだって言わなきゃならない。

だからこそ、私はリーダーを尊敬します。
優しい言葉だけ並べて甘やかして癒すようなことをするなら誰とだって仲良くやれます。しかし、時にはきちんと線を引いて毅然とすべきミッションを示す、ヴィジョンに外れたことを「それは違います」とNOを表明することができて、はじめてリーダーは務まるのだから。

「新しいステージに見合う品格」
これも、キャリアを積んできたからこその課題ですよね。
この言葉を20代の頃に聞いてもぴんとこなかったのではないでしょうか。

戦う時に必要なのは武力です。
しかし、目標を達成した後の統治に武力では効果がありません。王が武力で押さえつけても民衆の反乱を招くだけ。

そこで必要とされるのが徳、つまり人としての品格。
統治者には文化や芸術を解する繊細な感性が求められます。それでこそ民衆の尊敬を得ることができます。

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日本でも時代をさかのぼれば、江戸時代の後期というのは遊芸がないのは一流人ではなかったようです。知識人たちが、自宅に同好の士を招いては俳句を詠んだり、書画骨董について話をしたりしたのです。

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文化とは無駄から生まれます。
無駄とはすなわち余裕です。
品格を生むのは余裕です。

効率優先、生産性重視、コスパタイパ至上主義だとこの点を見落としがちですよね。
もちろん生産性や効率を優先しても良いのです。時と場合によってはそれはとても大切なことです。しかしまた、時と場合によっては、非効率で無駄なことが価値を生みます。

写真AC

例えば、茶道ではお茶をいただくまでに手順を踏みます。

ほとんどが無駄な動作です。
そうでしょう?
お茶を飲むだけなら「茶碗を手に取って飲む」この動作で完結。シンプルに。

なのに、茶道では扇子を使います。
暑くてあおぐために使うのではありません。
なんと、相手との間に結界を作るために使います。

写真AC

「ここがあなたと私の空間の境であります。わたくしはここに控えてあなたの空間を冒すようなことは致しません」
扇子を置く一動作で相手にこのメッセージを送ります。

お茶を飲むのに、それ、いる?
……いりません。
明らかに無駄で不要な動作です。

しかしながら、その動作は優雅に見えます。品があります。
なぜそんな意味不明の無駄な動きに品格が香るのでしょう?

茶道の歴史を紐解くと、戦国武将たちが一時、心をゆるめることができたのがこの茶会であったことがわかります。バチバチ命のやり取りをしてきた者同士が、茶室という小宇宙の中だけでは武器を収め共に茶を味わう。静かで穏やかな時間を過ごす。そんな異空間が茶会だったのです。

そのことがわかれば、なぜ結界を張る必要があったのかも理解できますよね。
いつもは命を狙いあっている敵が目の前にいるのに、武器は振るえない。鎧を着て行くなんてビビりで格好悪い。丸腰で相手と対面し、その場だけは立場を超越して共に茶を楽しむ。その空間づくりに結界は必須だった。

つまり、無駄に見える扇子は、必要なものだったのです。
その歴史を背負って置く扇子であるからこそ、品がにじむ。無駄な動作に重みが乗る。

無駄に見えること、無であること。
そこにこそ、余裕があり品があるのでしょう。
時短もほどほどに、ということですね。笑

垢抜けもそうですよね。
身なりを整える時も、無駄なものを身につけることでおしゃれに見える。アクセサリーもスカーフも無くてもいいものだけれども、その無駄なものを身につけることで洗練された装いを作ることができます。

アラサーくらいまでの年代には率直さも魅力です。
しかし、年齢を重ねた人間が率直すぎると、積み重ねてきた人生経験も相まって重くなります。軽やかに生きるためにも、無駄を大切にしたいですね。

そして、その無駄からこそ一番素晴らしいものが生まれてきたりします。
だからこの世は面白いといえましょう。

素敵な体験談をありがとうございました。
どうぞ美しい秋をお楽しみください。