キャリアを重ねたからこそ重要な「慎ましさ」

易経では「牝馬の貞によろし」という言葉が良く出てきます。
めすの馬のように、大人しく従順であると良い方向に進みますよ、という意味です。
この言葉、最近非常に染みるようになってまいりました。
私は約20年この仕事をしております。どんな仕事でも10年続ければ中堅、20年続ければベテランと言えましょう。私はすでにベテランとなっております。正直自分としては驚きです。
あるお客様が就活生のOB/OG訪問を受け「自分も先輩という立場になったのだ」と驚かれておりました。
その気持ち、わかります。びっくりしますよね。
そして、ベテランには落とし穴もあります。
いつまでも自分が未熟で至らなくて精進せねばならないと実直に思っていると、客観的な自分の姿を見失うことにもつながりかねないという罠が。
できていること、積み重ねていること(年月・経験)は冷静に評価すべきです。「自分なんて大したことはない、何にもできていない」と考えるのは大抵の場合行き過ぎです。正当な評価ではありません。ベテランならば年月を重ねて経験を重ねる中で少しは実績や経験を積み重ねてきております。
率直かつ正直に
「自分なんて底辺だから」
「自分は中途半端な人間で」
「自分だってわからないことだらけで迷ってばかりだ」
なんて後輩や若い人の前で口を滑らせてしまうと
「〇〇さんの立場になってもまだ苦しいのか」
「〇〇さんが底辺なら、自分はどうしたらいいんだ」
「〇〇さんを見習おうと思っていたのに、自分の方向性は間違いだったのか」
と相手の希望を打ち砕いてしまうこともあります。
(それが幻想であったとしても)ロールモデルになる、目標になるのは年長者のつとめです。「ああいう風に生きてみたい」と思える大人がいる社会は、希望のある社会です。憧れて目標にできる年長者がいれば、未来を前向きにとらえられます。年を取ったらああなれるんだ、と年齢を重ねることをポジティブに感じられます。
私も実際、女性経営者の先輩と接することで、「70歳になった時に自分もこうなっていたい」と襟を正すことができます。素敵な生き方、お手本を見せてくれる先輩方に感謝です。
こちらの体験談を書いてくださった榛名提督様は、セッションで自分の使命を聞くとこう言われたそうです。
「軽く生きること」と。
これ、聞きようによっては「そんなのが使命なの?」と思われるかもしれません。
しかしこれはすごくすごく、非常に重要なこと。年齢を重ねた人間が軽く生きていると後続の人たちの心を軽くすることができるから。
逆に考えてください。
重く生きてるお年寄り、見ててどう思いますか?
口を開けば病気の話。あそこが痛いここが痛い具合が悪いという愚痴。
「年なんて取るもんじゃない、若いあんたはいいね」
こんな言葉を年長者から聞かされた若年者の気持ちを想像できますか?
こんなことを年上の人から聞かされると「ああ、自分も将来こうなるのかな」と暗い気持ちになります。未来に希望が持てなくなります。「生きていたっていいことないんだな」と考える癖がつくようになります。
愚痴を聞かされると、心が暗くなってつらいです。
感情のゴミ箱にされるのは悲しいです。
重い。
一方で、軽~く生きてるご老人が側にいたらどうでしょう。
「いやあ、人生なんてねえ、どうにかなるもんだよぉ」と快活に笑う先人が側にいてくれたら、心はどうなりますか。
「大変なことがあっても導きがあるから安心しなさい。こんないい加減に生きてきた自分でもなんとかなってるんだから、あなたなんて花丸で大丈夫」
と、言われたらどう思いますか。
「こんな人でもなんとかなったんなら、自分もちょっとどうにかなるかも」って思いませんか。笑
肩の力を抜いて飄々と明日の風に吹かれて生きるような軽い人がいれば、それを見た人は心が軽くなるのです。「軽く生きること」は人の心をすくいあげます。
キャリアのある人が「自分なんてつまらない人間だ」「あなたは買いかぶり過ぎだ」「中途半端なことしかできていない」なんてマジレスするのは、重いです。もう少し軽くするといい塩梅になります。若者が描いているモデル(夢)を自分の認知している(重い)現実で壊さない心遣いをお願いいたします。
実態とは違う美化された幻想を部下や若者が自分に対して抱いていたとしても、それを打ち砕かない配慮は必要ではないでしょうか。正直すぎる言動で若者の希望を奪うことは、年長者としてふさわしい行動でしょうか。
自分を低く評価しすぎると、周りに対して嫌味になったり圧になったり失望させたりしかねない。
キャリアのある人間はベテランとしての自覚を持って、ふさわしいふるまいをする必要があります。いつまでも新人時代の気持ちを引きずったまま、少年少女のようにふるまうことは大人のすべきことではありません。
ベテランとしての自覚。
その一つは「自分の圧に気づくこと」。
これは、キャリアを積み重ねてきた人間にとって盲点になりがち。
謙虚におごらず初心を忘れずにと思っていると、ついつい現在の自分のエネルギーの強さを忘れてしまうのです。下手をすると知らない間にエネルギーが強くなっている現実にすら気づかなかったりします。
実は、ベテランには威圧感があります。
普通にしているだけで迫力があるのです。
でも、キャリアと年齢を重ねた人間にそんなことをストレートに言ってくれる人はほとんどいません。自分で気づかねばなりません。

ある経営者のお客様は、右腕からパワハラをされたと訴えられたことに悩んでおられました。ご本人はパワハラをしているつもりはなかったからです。
私は、どちらの気持ちも痛いほどわかりました。
部下側も、上司側も。
そのお客様は、たいへん能力が高く正しいことを真っ当に行える人。加えて真面目で誠実な人でした。そんな人は正直、目の前に座られると怖いです。「ドーン!」という効果音がオーラに組み込まれている感じ、と言えば伝わるでしょうか。
このお客様は謙虚で真面目で誠実な人なので、真摯に相手に対して「こうしてほしい」と伝えたことでしょう。
それ、怖い。
怖いです。
特に社会経験の少ない20~30代の人間だったら、この人に「あなたはできる人なのだからやってください」と励まされただけで圧を感じて「パワハラされた」と感じてしまうかもしれません。
年齢とキャリアを積み上げてきた人間には、圧があります。
人生経験によって積み上げてきた重みがあります。
私たちはついつい自分の未熟さにとらわれて、この圧(重み)に無自覚になりがちです。
そうして若い人たちに怖がられてしまいます。
善意を圧と受け取られてしまいます。
助言をパワハラと思われてしまいます。
ここで大切になるのが「牝馬の貞」。
穏やかで慎ましくあることの徳。
年齢とキャリアを積んできた人間は、この円熟味、まろやかさを意識して取り入れていくことで周りを怖がらせずに円滑なコミュニケーションを取っていくことができるのではないでしょうか。

私は乗馬をやっています。
馬に乗る経験はキャリアのあるリーダーに有用です。
なぜなら、「周りから怖がられない訓練」ができるから。
馬は臆病で繊細な動物です。
自信満々に堂々と馬と向き合うと、まず逃げられます。圧がすごいから。
怖がられると良い関係を作り上げることが難しくなります。
私自身も、持田さんに言われたのが、「おへそから出ているエネルギーが強すぎる」ということです。持田さんのクラブの馬で、グランドワークをしようとしたら、まだ何もしていないのに、馬の真正面に立っただけで、馬が後ずさりしてしまいました。私の姿勢や「よし、やるぞ!」という気持ちが馬からすると強すぎるエネルギーだったので、後ろに下がってしまったのです。持田さんのアドバイス通り、おへそを隠すように、また、肩をすぼめるようにすると馬が後ずさりしませんでした。
グランドワークの競走馬における有効性 – BLOG -umanotonari-
太字強調は記事作成者による
「いくぞ!やるぞ!」とモチベーションを高く持って部下に接しても、なぜか部下はついてこない。温度差を感じる。
部下からすると、初手「怖い」。
ガツガツ来られると、怖い。
やる気にあふれる人の強烈なエネルギーに怯えてしまって近寄れません。
上司からガツガツ来られても「わかりました!やりますっ!!」と食いついてこられるようなタイプの人は、気が付いたら独立して自分で事業をやっていたりします。組織で働けるタイプの人(馬と同じく群れを作れるタイプの人)にとって過剰に情熱に満ち溢れたエネルギーは恐怖の対象、ストレスになってしまうのですね。
私も「泳ぐのをやめたら死ぬマグロタイプ」なので、普段から情熱にあふれております。「やりたいことないとか、やる気が出ないという人が信じられない。世の中ってワクワクするやりたいことだらけでしょう?」なんて言ってしまって、Z世代の若者から住む世界が違う人認定されたりします。
そんな私は当然、そのままでは馬と仲良くなれません。
「ありのままの私をうけとめて!」なんて馬に向かっていったら、ビビり散らかされ逃げられてしまいます。怖い。
馬の前では、ソフトに。
エネルギーを出さずにそーっと、そーっと。
「キャー!カワイイー!好きー!!」なんて、ありのままの感情をぶつけては怖がられてしまう。
いきなり距離を縮めたりしない。
相手の様子を見て少しずつ、少しずつ。
これが無意識のうちに圧が強くなってしまった自分を制御させる良い訓練になっていると感じます。
年齢とキャリアを重ねた私たちに大切なのは「牝馬の貞」。慎むことの陰徳。すべてをありのままにさらけだしすぎない慎ましさではないでしょうか。
もっとくだけていうなら「怖がられないようにする」。
ベテランにはこの心遣いが必要になってきます。
馬は気を感じ取る?乗馬は瞑想?
上で引用したブログ記事は、伊東伶さんのものです。伊東さんは「馬に関わることは瞑想だ」とおっしゃいます。
調教動画を視ると「メンタルをオンにする」「メンタルをオフにする」なんて言葉が出てきます。
具体的に行動するのではなく、心の状態を変えることでそれが馬に伝わるというのです。
人から出るエネルギーを感じることができる
生徒さんたちの立ち姿(姿勢)や無意識に出ているエネルギーによって馬の動きが変わるのを見れば見るほど、ああ、やっぱり馬って人が感じにくくなっているエネルギーを感じているんだなと確信に変わっていきました。(中略)
色々な生徒さんを見ていると、彼彼女らの普段の姿勢や態度が、馬に影響しているのが分かります。本人は気づいていない姿勢やエネルギーや息遣い、それらを私は本人たちに鏡をむけるように、伝えて、改善してもらいます。(中略)生徒さんが深呼吸し、肩をすぼめるだけで、馬が頸を下げて常歩をしたということも実際に何度もあります。
グランドワークの競走馬における有効性 – BLOG -umanotonari-
これは面白い。
馬にはエネルギー、「気」みたいなものを感じ取る能力があると。
更に伊東さんのブログでは、こちらの本が紹介されていまして。

伊東さんは池上六朗さんにこう言われたそうです。
「馬の歪みや苦しいところをなおしたいなら、まず自分の歪みをなおしてみたら」
すごい。
これはオポノポノと全く同じことを言っているではありませんか。

神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方(Amazon)
オポノポノでもヒューレン博士は自分の内側をクリーニング(浄化)することで相手の病気を治癒に導きます。
それと同じことを池上六朗さんが言及していると。
しかも内田樹さんと対談本を出されていたと。もうこれ読むしかないですね。
実は私、内田樹さんの対談本で大好きな1冊がありまして。
故・鈴木邦男さんとの対談本、慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群です。

私、鈴木邦男さんが大好きで。
右翼の強面な人かと思いきや、ソフトで柔らかいんです。包容力すら感じさせるオーラがあります。上で述べた「牝馬の貞」的慎ましさを持ち合わせている。
雨宮処凛さんに「ハムスター」と評される愛らしさ。
30歳も年下の女性に小動物呼ばわりされる右翼なんて、後にも先にも鈴木邦男さんくらいでしょう。笑
ものすごく芯の強い人なのに、怖さを感じさせない。
威厳と慈愛が共存している。そのたたずまいに憧れます。
まさに外柔内剛。
この対談本は武道家二人がいかつい話をしている本です。その中でも私が一番心に刺さったのは「第二次世界大戦で合気道の術によって戦艦を動かしていた将校がいた」という話。
荒唐無稽と思われますか?
さもありなん。なんと中二心をつかまれるお話でしょう。戦艦を合気道のメソッドで自分の手足のように操縦していたというのですから!
想像するに、合気道の方法で乗組員たちに気を送ることで戦艦の操作をコントロールしていたということなのでしょう。そう考えると、確かに不可能ではないと思えます。合気道創始者の植芝盛平氏は大変スピリチュアルな(神道的な)人だったので余計に。
気を送ることで戦艦が動く。
エネルギーによって馬が動く。
これは、面白い話ではないですか。
そこにこちらからバイブレーションみたいなものを送ってゆくんです。別に押したり引いたりするんじゃなくて、バイブレーションで相手の体をコントロールするんです。そういうことができるんです。
なんていうのかな、相手の体の細胞レベル、分子レベルのところに、こちらの送るシグナルに反応して、それに合わせて自己形成する「構造」のようなものをつくりだしてしまうんです。そうすると、極端な話、相手の体がぼくの手足の延長みたいな感じになって、もう自由自在に動かすことができるようになる。
これは経験のない人に説明するのは難しいんですけれど、相手とすっと溶け合ってしまうと、二つの体で一つの「構造」を共有しているような感じになるんです。
波動が合うというか、波形が合うというか、そういう感じに。
身体の言い分 p94~95
馬と波動を合わせる。
さっそく私は乗馬クラブに行った日、ポニーちゃん相手に試してみました。
え? なぜ乗馬レッスン中、サラブレッド相手にやらないのかって?
初心者が乗馬中に気をコントロールするような余裕はありません。笑

ポニーちゃんの前に行った私は、背中を見せるように座りました。
人なつこいポニーちゃんはすぐ私の肩や後頭部に鼻を寄せてこようとします。
そこで、ふっと気を張ってみたのです。
伊東さん風にいうなら「メンタルをオンにする」。武道風にいうなら「丹田に気を収める」。ヨガ風にいうなら「プラーナを脊椎に流す」。
すると、ポニーちゃんの鼻がぴたりと止まりました。
私には触れず、距離を保っています。
私は全く体を動かさず、声も出さず、他の何一つも変えずに、気だけふうっと緩めてみました。
そのとたん、ポニーちゃんは私の肩口にぐりぐりと鼻を押し付け「かまってかまって遊ぼう~」がいつものようにはじまりました。
また気を張ると、ふっとポニーちゃんは引きました。
またゆるめると、再び私に触れてきました。
これは、面白い。
全ての馬に通ずるかどうかはわからないけれども、少なくとも気の流れを察知する馬はいる。
自分の気をコントロールすることで戦艦を動かすかのように馬を動かすことも可能かもしれない。
いや、面白いです。
気功や武道をやってらっしゃる方もぜひ一度お試しください。馬、面白いです。
別の視点から考えると、自分の気(エネルギー・メンタルの状態)をうまくコントロールできているかどうかをチェックする鏡として乗馬をすることが有用であるかもしれません。
いや、馬、面白い。
なるほど織田信長も馬マニアになるはずです。
丙午は否定される日本的理由
さて、あなたは丙午って聞いたことがありますか。
丙午、読み方は「ひのえうま」です。
火の馬、それがひのえうま。
1966年生まれの人は丙午年生まれ。
私は日干支が丙午。
人格を全否定される丙午の女でございます。
夏目漱石には丙午だから悪女なんだと書かれ、明治39年(1906年)の丙午の年に生まれた女性は「丙午の女だから」と縁談を断られ、昭和41年(1966年)の年には「丙午の娘が生まれたら困る」と出生率が激減した丙午。

なぜそこまで丙午が忌み嫌われるのか。
甲午(きのえうま)や庚午(かのえうま)はここまで嫌われないのに、丙午は頭一つ抜けて印象が悪い。それはなぜなのか。
算命学(五行陰陽)理論的には「火がもっとも旺じるところだから」と説明できます。
しかしながら、それを言うなら他の五行が旺じるところでも良くないと否定されるはずですよね。乙卯も戊午も辛酉も壬子も良くないはずでしょう? いわゆる天将星(四柱推命での帝旺)が巡ってくる干支はすべてが不運ですよね? 旺じるものは偏るからいけない、でしょう?
ですが、他の五行が旺じていても丙午ほどは忌み嫌われることはない印象です。
丙午こそが特別に嫌がられます。
なぜ?
どうして?
その理由の一つが意外なところから判明しました。
以下にシェアします。

私は今、古文書を勉強しています。このたび先祖の土地の古文書を見せていただけることになったので、それが解読できるように勉強を始めました。
そんな先日、道立近代美術館に京都 高山寺展を観に行ってまいりました。

ここで鎌倉時代の名僧、明恵上人らの残した古文書が展示されていまして。

古文書を勉強する前の私なら「なんかよくわからないことが書いてあるな」で終わったことでしょう。
しかし少しながらかじった今は「ああ、これは『如来』だな。これは『寺院』だ」と一部を読むことができたのです。
くずし字を学ぶと鎌倉時代の古文書まで読めるのですね、感動しました。

私は以前故・河合隼雄さんの明恵 夢を生きるを読んで、明恵上人の生き方に感銘を受けたことがあります。捨身したいなんて、ガチすぎる。ブッダ最推しテーラワーダガチ勢明恵。
なので今回、明恵上人の夢日記が直に見れて、しかも読めて非常にうれしかったです。
そうして勉強を進めていたある日、文化センターの先生からこう教わりました。
「火の字は縁起が悪いと置き換えられることがある」と。
例えば「秋」の字。のぎへんに火。
この「火」が縁起が悪いから亀に書き換えていたと。
例えば、千秋楽のことを「千穐楽」と書きます。

こちらは歌舞伎座の千秋楽の垂れ幕です。
やはり秋の字が穐になっていますね。
火ではなく亀に。
木造建築が密集するお江戸の町で、火事は何よりも怖いことでした。
丙午の女をネガティブに否定する材料として挙げられる八百屋お七。彼女も火事を起こした大罪人であるからこそ忌み嫌われました。
つまり、他の五行(木・土・金・水)に比べ、江戸の日本人にとって火は段違いで怖いものだったということですね。
これはかなり興味深い。
なぜなら、中国文化では水のほうが悪者にされる印象があるからです。易経でも「坎難」と言って、水の卦には厳しいことが書かれることが多いです。難しい試練をあらわす四大難卦も、すべて水の卦であります。
なぜ水が悪者にされるのか。
それは、中国文明の中で暴れ川である黄河を治めることが帝にとってどれだけ頭痛の種だったかということでしょう。日本の小さな河川と比べると、黄河や長江の大きさは段違いですものね。
水をあらわす「坎」という字は、土を欠くと書きます。
五行で水は土に剋されます。水は帝(土・中央)によって制圧され統治されるべきものなのです。
日本人は火を怖がる。
中国人は水を怖がる。
じゃあ欧米人は?――となると、やはり葬られたフィフス・エレメント「エーテル」なのではないでしょうか。
エーテルという目に見えないものを無視してきたからこそ西欧文明は物質性を強めることができた。それが産業革命につながった。精神性の高いネイティブアメリカンのスピリチュアルな文化を遅れた土着の風習とみなし敬意を払わなかったので、アメリカ大陸を制圧することができた。
――なんて、考えすぎでしょうか。

火や水は嫌われもの。
このように書くと火や水の干支を持っている人はがっかりしてしまうかもしれません。
しかし、怖れるとは畏れることでもあります。
天照大神は陽の火、太陽神です。火の神です。
そして中国文化で崇拝される龍は水を呼ぶ神です。
怖れの裏には畏れ、神聖さがひそみます。だからこそ否定されるのです。
あーかわいい。馬かわいい
ここからは語彙力が消失した余談になります。
乗馬クラブでの待ち時間。
先生が馬の準備をする時間だったり、送迎までの待ち時間。
それは私にとって、スーパー馬馬ふれあいタイムです。
姑息にも私は、お馬さんにシモベ様仕込みのマッサージを繰り出し、どうにか仲良くなろうと目論見ます。
お馬さんと接する際は、まずスタッフの方に許可を取ります。「見てもいいですか」「さわってもいいですか」と確認すると、どの馬が人なつこくてどの馬は気難しいから近づかないほうがいいなど情報を教えてもらえます。
当然ですが、馬は生き物なので人間と同じく一頭一頭の性格が違います。人に構ってもらえて喜ぶ馬もいれば、一人でぼーっとしたりリラックスする時間を欲しがる馬もいます。単純に暑くて疲れていたり、眠くて放っておいてほしい場合もあります。
乗馬クラブにいる馬は基本的に大人しくて人慣れしているので、五頭に一頭くらいは「かまってかまって!遊ぼう!フンフンフンフン!」系の陽キャ馬がいます。そういったお馬さんにかまちょして遊んでもらうのです。
ああ、陽キャにかまってもらえる幸せ。
うれしい。たのしい。だいすき。
あなたの光は私の心を明るくします。
お馬さんにマッサージをしてツボをおさえることができると、下の動画のようになります。
鼻の下が伸びて上唇がブルブル、モヒモヒモヒモヒ~ッとします。首も伸びたりします。
「オ゛ッオ゛オ゛ッオオ゛オ゛オ゛オ~」と、人様にはあまり見せられない顔つきになります。美馬がだいなしです。笑
マッサージが気持ちいいみたいです😁
— TCC 引退競走馬ファンクラブ – 馬を救い、人を癒やす – (@TCC_official_) July 16, 2024
可愛い顔から、だんだんと崩れていくキャップをどうぞ。
※閲覧注意 : 4枚目
刺激が強すぎるのでご注意ください。
▼ #ストリートキャップhttps://t.co/TWE2vjibf3#TCC #TCCJapan #TCC引退競走馬ファンクラブ #引退競走馬支援 #TCCホース pic.twitter.com/KOJq7ZaUR9
一頭をマッサージしていると、奥のほうに引っ込んでいた隣の馬も顔を出して「次はボク。次はボクに来るでしょ。むしろ次はボクでお願いね」とスタンバイしてアピールしだすのがまたかわいい。かわいい。
シモベ流マッサージ
こうかは ばつぐんだ!
マッサージをすると、馬もお返しをしてくれます。
「かゆいところかいてくれてありがとう、こっちもあなたのかゆいとこかくよ」と。元々馬同士では、下の動画のようにやっています。
こうやってお馬さんは自分では届かないかゆいところを、お互いに嚙みあっこするんですね。
マッサージはその噛みあっこ(グルーミング・毛づくろい)の模倣です。ですから、こっちがカキカキしたらお馬さんもこっちをカキカキしてくれるのです。
かわいい。
――のですが一つ問題が。
上の動画を視ていただけたらわかるように、お馬さんのカキカキはカミカミでもあります。お馬さんにもお返しが穏やかな馬と激しい馬といまして。
ええ。
ある馬にマッサージをしたら……
もっしゃもっしゃされました。髪の毛を。
下の動画の感じで髪の毛をもしゃもしゃされました。
かわいい。
かわいい……
(髪の毛バッサバサ)
いや、正しい反応なんです。
たてがみをもしゃもしゃするのはお馬さんのグルーミングの鉄板です。そこに毛があったらもしゃもしゃする。当たり前の動作です。
かわいい。
でも髪はもさもさになる。
このジレンマをどうしたらいいのか……。

はあ、お馬さんはかわいい。
(語彙力消滅)


お馬さんのくれる幸せに感謝です。
長い長い記事なのに、最後までお読みいただきありがとうございました。