ある日乗馬クラブで会員さんと話していた時のこと。
「ライセンスの5級を取ってみたいんですよね」
「じゃあ相当乗らないとね」
「そうなんですか?」
「だって、自分で馬を動かさなきゃならないのよ」
「あっ、そうか! 試験では先生が動かしてくれないのか」
乗馬の初心者レッスンでは、先生が馬を動かしてくれます。下の動画の感じです。
でも、本来は自分で馬に指示を与えて動いてもらうものです。
これが、私にはある意味ショックで。
馬は自分で動かさないと動かない
馬が勝手に動いて自分を楽しませてくれるわけではない
馬に指示を与えることではじめて動く
これって真理ではないですか。
つまり、こういうことです――
幸せは自分の内から見つけ出さないと見つからない
誰かに自分を幸せにしてほしいと期待しても難しい
自分の内のこうなろうという思念にフォーカスすることではじめて宇宙は呼応する
「自分」なんですよ。
ゼロポイントは自分。
常に自分発信。自分の意図。
「こうしてください」と伝えないと、馬は動かないのです。
「こうしてください」と(宇宙に)伝えないと、現実は動かないのです。
常に自分発信なのです。
誰かがどうにかしてくれると期待しても無理なのです。
自分で創る。自分がどうしたいかをまず定める。
この世界を創り出していく意識。
これが目覚めた人間には必要。
そんなことを馬に乗っていて気づかされました。お馬さんの力はすごいです。
あなたがいるから頑張れる(一人だと頑張れない)
だめだ。
いったいどうすればいいのだろう。
私には手も足もない。力をふりしぼる筋肉もない。それでも、是が非でもこの上に行きたい。
私は頂上で神と出会い、対面することになっているのだ。私はじっと立って待つ。
何も起こらない。ふと気がつくと、そこにいるのは私一人ではなかった。ちょうど今、私と同じようにここに達した人がいたのだ。
彼は自分が上がるのを私に手伝ってほしいという。彼のその強いこころざしがよくわかり、私は自分の望みを忘れて彼のことを助けようとした。
だが自分の望みを忘れたまさにその瞬間、私が頂上に立っていた。どうやって登ったのか、わからない――そして彼はどこにもいない。あとかたもなく姿を消してしまった。
彼は私の最後の個人的な望みを捨てさせるための幻影だったのだ。
イニシエーション エリザベス・ハイチ (著) p587
私個人として上に登ろうとしている限り、この最後の段を上がることはできなかっただろう。
乗馬は馬がいるから頑張れる面があると感じます。
私は根が怠けものなので、一人だとだらけてしまって頑張れません。
例えば、ヨガやスノボや水泳みたいな単身で行うものは「できなくてもいいじゃないか」と一人で納得して怠けてしまいます。そこそこできればそれでいい。「もっと良くしよう」という向上心がなかなかわきません。
しかし、乗馬やテニスのダブルスやチームスポーツはそうはいきません。
一人で行うのではなく、誰かと一緒に行うからです。
自分が下手だと相手の足を引っぱってしまいます。
乗馬では、技術が下手だと馬に負担がかかります。馬に負担をかけないように乗るためには技術を向上させる必要があります。(だから初心者レッスンに付き合ってくれるお馬さんは神です……下手な初心者に付き合ってくれるお馬さん、慈愛すぎる。ありがたい)
初心者は技術が未熟なので馬に上手く指示を伝えられないことがあります。もしくは馬の負担になるような動作を(悪気無く)してしまうことがあります。
レッスン中に私の雑な騎乗に呆れたお馬さんが「もぉ~この上の人、どうにかしてよぉ~」と先生に不満を訴えることがあります。そして先生が「いいから、チッチッ」とたしなめるわけです。ああ、申し訳ない……。
こんなことがあると、上手く乗れるようにならねばと思うわけです。
個人競技だと「まあいいや」と怠けてしまうところを「お馬さんのために」と相手があると向上したいと思えるわけですね。
一人だと頑張れないところでも、誰かがいると頑張れる。
自分の力を伸ばそうと思う時、成長したいと思う時、一緒に作業してくれる誰かがいるのは幸福なことですね。
(もちろん意志の強い方は、一人で頑張れます。それはすごいことです)
「学ぶ」のではなく「思い出す」
私は乗馬は本来苦手です。
幼少期の骨折の後遺症で体幹が弱いからです。
実際、馬の上でなかなか立てませんでした。
「馬の上で立つ」とは、下の動画で磯野貴理子さんがやっている動作です。
先生はいろいろなアドバイスをくださるのですが、どうにもこうにも立てない。(そして「どすん!」「どすん!」と盛大な尻もちをつかれて、背中に負担をかけられたお馬さんのテンションもどんどん下がって行き……涙)
でも、あるとき。
「ふっ」と立てたのです。
先生に「そう、それでいい!」と言われ、私は面食らいました。
「えっ、これ? これでいいんですか? 立つって、こういうことなんですか?」
自分のイメージしていた立った状態と、実際に馬の上で立った感覚は違っていて、私は何か違うものを目指していたことに気づきました。
そして、立てるようになると「なんだ、こんなことだったのか」とあっけにとられました。
一度コツをつかめたら簡単にできるように。その感覚は、鉄棒で逆上がりができるようになった瞬間、補助輪なしで自転車が乗れるようになった瞬間と似ていました。
一度できるようになったら、なぜあんなにできなかったのかが良くわからないくらい、簡単にできるようになる。練習して少しずつ上手くなってできるようになるというより、できなくてできなくてある時フッといきなりできるようになる、という感じです。
それはまるで、元々持っていたけれども忘れていた感覚を思い出すかのよう。
よくスピリチュアルに言いますよね。
私たちはそもそもすべてを知っている、と。
知っているのに、記憶や感覚を制限して忘れたふりをしているだけなのだ、と。
私は昔モンゴルで遊牧民として生きていたことがあるので、まさに乗馬技術は「実は(過去世ですでに習得している技術を)思い出すだけ」なのかもしれません。
いや、過去世で経験があるかないかに関係なく、もっと広い領域で私たちは「忘れたふり」をしているといえます。
魂は、本当は知っているのです。
でも、忘れたふり、知らないふり、気づかないふりをしている。なぜなら、そうすることでこの三次元世界に肉体として存在するだけの密度の濃さ(重さ)を獲得できる――波動を落とすことができるから。
そう、実は原子と原子の間なんて広大な空間が広がっているのに。
なのに、私たちは物質が強固でみっちりつまっている確かな物と錯覚するのです。そうやってわからないふりをする。
実はある空間に気づかないふりをする。
粒子が波形に変化するわけがないと思い込む。
そうすることでこの世界に適応する。
思い出したら「なぜ忘れていたのだろう」と思うことでしょう。当たり前すぎることだから。
そういう目覚め、気づきが魂の道を行く人には、多かれ少なかれ訪れます。
今ここを見ているあなたにも。
思い出すと、世界は全く違うものに見えてきます。
「なるほど、そういうことか」と。
なぜ今こうなっているのかの深い理由が自然と腹落ちするようになります。日常の微細なことに神は宿り、神秘が現れていることに気づいていきます。現象の意味に納得することで、心は愛で満たされます。自分は光、相手も光。
根っから邪悪な人間はいない。
人が人を傷つけたり、悪いことや残酷なことをするのは、相手が自分に危害をくわえると思い込んで、その恐怖心から、相手に何かされる前に自分を守ろうとしているのだ。そしてそれが、人が悪意から行動したと信じ込む現実をつくりだしてしまう。だがそのような「邪悪な行為」も、単にお互いを恐れているからそうなってしまったのであり、もとから悪意があったわけではないことがわかれば、どちらもすっかり安心して手を握り合う。
人々は知らないし、目が閉じてしまっている。
イニシエーション エリザベス・ハイチ (著) p599~600
お互いが見えないということが、この世のあらゆる憎悪と戦争の原因になっているのだ。閉じていた人の目が開かれ、そこに理解と知恵の光が宿りはじめるときほど神々しい輝きはない。
車無しでも行ける札幌の乗馬クラブ
ここからは、たいへん現実的な余談です。
私は車の免許がありません。
以前は取得していたのですが、流してしまいました。
乗馬クラブは当然ですが、馬にとって快適な環境が必要です。
土地が広くて自然が多いところが望ましい――つまり、自家用車がないと行きにくい場所にあることが多い。
乗馬をしてみたいと思っても「車じゃないといけない」。
このハードルが大きかったりします……。
しかし、車がなくてもいける乗馬クラブはあります!
札幌市で車がなくても通える乗馬クラブをここでは3つピックアップします。
(本格的に乗馬というよりはお試しで乗ってみたいという気分の方は、観光牧場での乗馬(引き馬)をお勧めします。北海道ですとノーザンホースパークなどです。ノーザンホースパークも新千歳空港から無料送迎バスを利用すれば車無しで行けます)
ほくせい乗馬クラブ
こちらの推しポイントは、なんといってもアクセスのしやすさ。
地下鉄真駒内駅から無料で送迎が受けられます。真駒内駅から近いのに、これほど自然が豊かなのか…と驚くような立地にあります。
札幌市民は特別料金でリーズナブルに乗馬体験をできますので、札幌市にお住まいの方はぜひ一度こちらの乗馬クラブでの乗馬体験をしてみてください。もう少し試してみたい場合は4回レッスンもあります。
ここのクラブでは少年団もやっているので、親子で通いたいという場合にもマッチするでしょう。
デメリットとしては実績と伝統のあるクラブであるがゆえに、少し敷居が高い感じがするかもしれません。しかし、札幌市民乗馬体験価格は非常にリーズナブルなので、一度試してみる価値はあると思います。
真駒内乗馬クラブ
ここのクラブの推しポイントは、レッスンの質。
代表取締役の中垣彩也加さんは日本オリンピック委員会スタッフコーチも務められた方。
ピンポイントで「そういうことか」と理解できる具体的なアドバイスを頂けます。自分の何が引っかかっていて、何が問題なのかをクリアに言語化してくださいます。馬場にも問題をわかりやすくする工夫がほどこされいて「わかりやすいレッスンを受けられる環境」が整っています。
本気で上手くなりたい、乗馬技術を磨きたいという人に是非おすすめしたいクラブです。ビジター(非会員)でもレッスンを受けられますので、気軽に受講可能。
デメリットとしては、素晴らしい自然環境――裏返すと、市街地からは遠い。
地下鉄真駒内駅からの送迎はビジターは有料(1.000円)。しかし、それも納得の奥地。それゆえ環境は非常に素晴らしいです。馬たちは快適だと思います!
会員になって本気で通う場合は自家用車(冬場を考えると4WD)があったほうがいいかな、と感じる次第です。
モモセライディングファーム
ここの推しポイントは「Lineで予約可能」。
「えっ、そんなところ?」と思われたあなたは、おそらく40代以上の方ではないでしょうか。
観光牧場や関東の乗馬クラブを見ていると、経営者が若いクラブや大手クラブを中心に「テキストメッセージで予約を完結できるクラブ」をそこそこ見ます。しかし、北海道の乗馬クラブは(外乗含め)「予約は電話でお願いします」形態が多い印象。ネットで申し込み可でも結局折り返しで電話がかかってきて電話で手続きが完結する場合も。
電話で予約。
ハードル高い方もいると思います。
特にZ世代など30歳以下の世代にとって「電話で連絡を取らねばならない」というのは心理的負荷がある場合も。
私のような世代では思いもつかないくらい、電話連絡の苦手な人が30代以下には多い。
ですから、Lineで予約完結できるクラブ、若い世代にはありがたいのではないでしょうか。しかも、こちらのクラブは10回レッスンプランもありますので入会金や年会費といったハードルを越える前に乗馬の楽しさを体験してみることが可能です。
もちろん、このページでご紹介するのですから車無しで通えます。
地下鉄東豊線福住駅からバスでアクセス可能。三井アウトレットパークに行く感覚で馬に乗れます。
デメリットとしては、電話だと予約が取りにくい。
これはこちらのクラブ以外でも、乗馬クラブの電話予約あるあるだと思います。皆様忙しい中、他業務をこなしながら予約受付をなさっているので、電話が取れない時があるのも致し方ないですね。
大規模な観光牧場や大手乗馬クラブならば事務専用スタッフがいることもあります。が、ほとんどの乗馬クラブの場合そうもいかないのが実情ではないでしょうか。乗馬クラブの電話予約は何回もかけなおしが基本、くらいに思っておくとよいかもしれません。
実際に会員になって通えば「この曜日のこの時間帯にあの人は電話取ってくれるな」と読めるようになって電話でもスムーズに予約が取りやすくなります。しかし、はじめはまったくわからないので、何度もかけなおし。1回で出てくれたらラッキー!
最後に全然関係ないですが今日もゴールドシップはかわいいです。
札幌競馬の開幕に向けてずいぶん夏らしくなってきました☀️明日の札幌の最高気温は31℃予想‼️
— Café&Bar ゴールドシップ (@cafe_bar_gs) July 2, 2024
Café&Bar ゴールドシップでは軽食の試食会🌭軽食には、あの大穴馬の名前が🤭
ゴールドシップにも差し入れしないとですね😋お楽しみに🎵#ゴールドシップ#ビッグレッドファーム#札幌競馬場 pic.twitter.com/lWderHMQBN
ゴールドシップにも乗っていた横山典弘騎手。ダービーおめでとうございます。
「馬はちゃんと大事にしていれば応えてくれる」
こんな言葉を、私もいつかは口にしてみたいものです。かっこいい……。