AIには代替不能な中庸の徳~身体の言い分(内田樹/池上六朗)

わたしはご縁を信じていますよ。

こんな出会いはすばらしい。
そう思ったら、その先なんてバラ色に決まっている。

そう思わないから、不安が起きるのかもしれないですね。

身体の言い分 p176

上は、三軸修正法で様々な身体を癒してきた池上六朗さんの言葉です。
先日、池上六朗さんと内田樹さんの対談本があることを知りまして、手に取りました。

身体の言い分(Amazon)

これが実に面白い本だったので、ここでシェアします。

「まったく偶然な出会いというものはこの世にはありません。僕たちは『宿命の糸』に導かれて人に出会う。そして、次々と出会いが重なるうちに、そこに独特の厚みと奥行きを持った『場』ができあがる。人々がそこに出会ったことの意味は、それらの出会いから生まれ出るさまざまな作物によって事後的に知られる。そういうものです」

ここで言われている「独特の厚みと奥行きを持った『場』」というのは、単に人と人との関係だけを言うのではなく、あらゆるモノ・コトが連関した、宇宙規模での出来事であるように私には思われるのです。(中略)

まったくの偶然の出会いというコトはなく、昔むかしから深いところで何かが手を取り合っているのです。それが、ちょうど良い時と処を得て、再びある型となって顕われる。

このコトを宿命と言うなら、その再び顕われた出会いになにがしかの意義「もの事が他との関連において持つ価値・重要さ……広辞苑)があると私には思われるのです。

身体の言い分 p327~328

この本では、いかに不思議な経緯をたどって対談者である池上先生と内田樹さんが知り合ったかが書かれています。

内田さんは池上先生とつながる人物からのコンタクトを無視したり面倒くさいなと思ったりすらしました。しかし、それなのに「この人に会わなければ」と思うような流れができて結局二人は出会うことになります。そして意気投合します。

二人とも、上に引用したようにご縁の大切さに言及しています。それが、AI時代の2020年代になって心に刺さるな、と。私は今の時代だからこそ、より一層「ご縁」の重要性が上がってきたと感じているからです。

単純に思うのです。
「人生が大きく飛躍するチャンスは『縁』が持ってくるものだ」と。

流れに乗っている時は、嘘のようにうまく物事が運ぶし、努力しなくてもするすると道が開けていきます。シンクロニシティ(共時性)に導かれて、本当に大きなものに動かされている感じがします。それは、ひとえにワクワクする体験、毎日が鮮やかで生き生きする日常、自分の存在の尊さに満たされ感謝にあふれ愛を実感できる時です。

縁を大切にできる人は素敵なご縁を頂く機会が巡ってくるもの。
それは、人とのかかわりに対して開く心がある、人とふれあうコミュニケーションを大切にする心がまえが呼び込むものなのでしょう。明るいコミュニケーション、それは愛と光✨

自分の意志でそこに行ったつもりでしたけれど、実際は何か目に見えない強い力が働いて、僕をそこに導いている。それは僕に何か「ミッション」を果たさせるためである。僕はそういう風に考えるようにしています。                                                                                        

身体の言い分 p7

「あ、これはなんか導かれて来たのだな。ここに自分は『遣わされた』のだ」
そう思う瞬間は、とてもワクワクするものです。
人知を超えた大きな力を感じます。

最近の自分の卑近な例で言いますと、こんなことがありました。

たわいもない雑談中、私は「最近乗馬をはじめまして」と口にしました。すると、相手の女性はえっと驚いて言いました。

「私、ちょうど昨日ノーザンホースパーク(観光牧場)に行ってきたところなんです」と。

「お馬さんに一度でいいから乗ってみたい、それが夢で。でも、私みたいな人間が乗ったらお馬さんがかわいそうって思って乗れなくて……主人も『乗ってみなよ』とすすめてくれたんですけれども、結局乗れませんでした」

なんと優しいのでしょう。
馬の背に乗るどころか、たてがみを引っ張り腹を蹴り鞭をふるう図々しい私とは大違いです。

しかし、「馬に乗るのはかわいそう」と思う気持ちもわかります。
実際、人間を乗せて走るのはそれなりに負担になります。自分の体重の10分の1の重りを背中に背負って歩いたり走ったりする。人間からしたら5キロの米袋を背負っているイメージだとわかりやすいでしょうか。

人を乗せないで動くほうが身軽でらくちん。それは当然です。
それと同時に、私は「馬は仲間のために頑張ってくれる生き物だ」とも感じています。

夏の暑い中レッスンに駆り出される馬はたまったものではありません。実際、だるそうでやる気がなかったりします。しかし、
「こんなに暑い中頑張ってくれてありがとうね」
「こんなにたくさん走ってくれてありがとうね」
こうやって伝えていくと、はじめはやる気がなかった馬がきびきびと動いてくれるようになります。不思議です。

仲間の気持ちに応える。
それは群れをなす生き物の習性と言えましょう。
「私のために頑張ってくれてありがとう」こう伝えると、馬はけなげに頑張ってくれるのです……。

写真AC

馬は本来障害をジャンプしたりしません。ジャンプしなくても通れる障害のないところを選んで進もうとします。
当たり前ですよね。わざわざ障害を飛び越えるより飛び越えないほうが安全でリスクがないのですから。

でも、人間がお願いすると飛んでくれるようになります。
自分だけでは頑張ろうとしないけれども、人が望んでいるなら応えてくれるのです。人と一緒なら、飛んでくれるのです。

私が乗馬を始めたきっかけの一つは、ある牧場主の方が「引退競走馬を支援したいなら、乗馬をやってください」とおっしゃっていたから。「乗馬のニーズが増えれば、引退後に行先のできる馬が増えます」と。「観光牧場の引き馬を利用することも支援になります。馬に乗ってください」と。

馬に乗るのはかわいそう。
確かにそうかもしれません。
でも、馬に乗ることで救われる命もあるのです。命の居場所を作ることもできるのです。

元競走馬のオレっち (Amazon)

ですから、遠慮しないで乗ったほうが良いですよ、とその方に伝えました。
これを伝えるために今私はここにいるのだな、と感じました。そして相手は前日にホースパークに遊びに行ったのだな、と。その方は多分、馬に縁があって呼ばれているのでしょう。縁のある馬が、いるのでしょう。

こんな体験ができるのも、雑談をしたから。
誰かとのコミュニケーションは魂の道へと導いてくれます。
心を開いてお話ししてくださる方に感謝です。私とコミュニケーションを取ってくださりありがとうございます。

この写真は、今年亡くなった馬の馬房(馬の住む部屋)に手向けられた花です。
もう何か月も前に亡くなったのに、いまだに花が絶えません。その馬に乗っていた方を中心に毎日お花を供えているようです。

オーナーに話を伺うと、昨年大きな手術をして頑張ったのだけれども今年力尽きてしまったとのこと。

私がこの乗馬クラブを選んだ一つの理由が、ここです。コロナで乗りに来る人が減って経営が苦しくなっても、馬を肉屋に出せなくて最後まで看取ってしまう困ったお人好しがやっている乗馬クラブなのです。

今も馬房には蹄鉄をつけない馬が何頭か。
コンディションが落ちて人を乗せられなくなった馬には鉄を打っていないそうです。そうやって、人を乗せられなくなった馬も面倒見ちゃうんです。引退競走馬だけではなく競走馬になれなかった馬も引き取っちゃうんです。

まったく、経済動物の経済効率が悪くて困ったものです。

馬の看取り ※上に出てきた馬とは無関係、別の馬の看取りの様子です
詳しい経緯はこちらで→『プーちゃんことプレストシンボリという馬がいました』

さて、池上さんは本の中で人ならぬモノと話すことについて言及しています。

わたしが商船学校に入って最初に衝撃を受けたのはね、物理の先生が「お前ら勉強するな」ということでした。

勉強するなというのはどういうことかというとね、お前らがしている勉強というのは記憶することだっていうのね。「記憶をしたら物理はわからない」っていうんです。(中略)

知識で得たことと、現実に起こることは同時に起きないと「腑に落ちない」わけです。でもいまは受験勉強をするでしょう。優秀な人たちはみんな「知っている」わけですよ。でも、知っていてもわかってはいない。

商船学校ではね、実習と座学が同時進行なんですね。たとえば「慣性」というモノの運動の本質的なこととか。

ロープの感じがなんか違うとか、錨のチェーンというのはとても大きな物体ですが、その緩みや撓みの検査をテストハンマーでするわけだけれど、慣れてくると向こうから「ここを叩いて」って語りかけてくる。

原始的な能力。いまも強烈に憶えているんですが、まだ新任の航海士だったころ、非常に高価で貴重な工作機械をヨーロッパから日本に運ぶ仕事があったんです。固定されている機会を見たら、なんか「嫌な感じ」がしてね。「これちょっとおかしい」って気がして調べてみると、新しいワイヤーに疵があって航海中の大事故につながることを防げた経験があるんです。

そういうもんなんです。
モノと自分の間で交流が起きている。
そういうものをキャッチする能力があるかどうか。

身体の言い分 p311~312
太字強調は記事作成者による

私はスピリチュアルカウンセリングのはじめに、お客様に合わせてパワーストーンを選び、その石からメッセージを降ろしています。

なぜそんなことをするかというと、セッションを行うにあたってのチューニングです。「この方向性ですよ」と示すことで、ガイドとお客様の波長を合わせやすくするための儀式と言えます。

池上先生が言及する「原始的な能力」は、占いのリーディングでも大変重要だと感じています。
基礎的な知識は大切ですが、実占の場面ではそれにプラスしてこの原始的な感覚を使うからです。

例えば、教科書に書いてあるリーディング手法を私がホロスコープや算命学の命式を読むときに使っているかというと、実はほとんど使っていません。

ほら、星読みの人が良く言いませんか。
「ホロスコープを見たら光ってる星が見える」と。

そう、光ってるんですよ。ホロスコープを見ると。パッとある一点に目が吸い込まれちゃうんですよ。
「あっ、この人は今火星がズガーンって来てるからこの金星が引っ張られてキーになるのは11室の海王星。つまり新しいプロジェクトは直観に従ってGOサインが出ている。夢のある言葉でのクラファンは成功」
こんな感じで読むんです。

双子のほぼ全く同じホロスコープや命式の人がいらっしゃっても、違うアドバイスになります。
だって、同じ図形でも光ってるところが違うから。同じ一卵性双生児でも「お姉さんは火星を使って攻める必要があって、妹さんは天王星からの刺激を無視することで一旦水星を保護したほうが良い」みたいなことになります。持ってる星は同じでも読むところが違うのです。

「太陽と月の星座を見てアセンダントを見る」みたいな教科書に書いてあることはほとんどいたしません。見た瞬間ズガーンって来るからズガーンってしてピーってしてジャッとする。そうすると星が教えてくれる。
(もちろん読むには教科書的な知識が必要なので、基礎を勉強することもまた大切です)

池上先生風にいうと「星と自分の間で交流が起きている。そういうものをキャッチする能力があるかどうか」という話になります。

そういうものをキャッチする能力を開発するにはどうしたらいいかというと、当然座学ではなく現実の物質的体験が大切になってきます。両極をそろえる必要があります。

つまり、勉強して頭を使ったら次は体を使う。
家にいて本を読むのが好きなインドア派な人は体育会系脳筋を目指すと最高です。苦手を克服、カッコイイ!

そうすると文武両道になって中庸の徳がそなわる――つまり、そういう能力が開発されます。AIでは代替できない、コンピューター占いでは出せないリーディングができるようになります。
AIには真似できないことをする。これからの時代、すごく大切なことではないでしょうか。

頭でっかちで考えてばかりいると、思考がグルグルして動けなくなります。一度「こうなったらどうしよう」と不安に囚われてネガティブなスパイラルに入ってしまったら、何事も詰みます。能力があっても自信がなくて動けないという状態になります。

そうならないためには脊髄反射でパッと動く。直感で動く。
こうするには脳筋です。IQ4で脳筋です。
知識があると同時に脳筋になる。この両立があると良いのです。

ですから、こんな長文記事を読める能力のある人は、体育会系魂(努力と根性と積み重ね!)を大切にすると一気に伸びます。脳筋になると隠れた才能が開花します。外向的にハートを開いてアクティブになると、素晴らしいインスピレーションに恵まれるようになります。

社交こそがあなたの人生を拓く。
人とかかわり、ご縁をつなぐ。
開運の言葉は「友達100人できるかな」♥

そのくらいの意識でいると、ちょうどいい塩梅でバランスを取ってくれるのですね。
やはり、コミュニケーションは人生の宝であります。

ふっと思うは神の心、あれこれ思うは人の心
そんな言葉があると聞いています。

あまり取り計らずに、ふっと思う時と所を得ますと、潜在していた蔭の可能性、「お蔭さま」が、ご縁という形で顕われ向こうからやってきます。

それは今の自分にとって都合の良いことだけとは限りませんが、そのことによってふっと気がつくことがあります。そのご縁が都合の良いことであれ、都合の悪いことであれ、すべて自分の経てきたことの顕われとあきらめれば、解決の方法はおのずと開けてくるようです。

ご縁に身を委ねる、このことが私には最も合理的な生き方のような気がいたします。
ライト・タイム、ライト・プレイス、この言葉を合言葉に、良いご縁に巡り合えるように自分自身を選びましょう。チャンスの扉は向こうからちょっとだけ開きます。お見逃しのないように!

身体の言い分 p324

身体の言い分(毎日文庫)
内田 樹 (著), 池上 六朗 (著)