スピリチュアルに 馬に乗る

馬が好きすぎて好きすぎる

私はここ最近、馬好きスイッチが入っております。

リビングには、引退競走馬のゴールドシップ号のカレンダー。

ベッドサイドにはアクリルフレームに飾ったゴールドシップ。

最近のゴールドシップも相変わらず素晴らしい。

ゴロゴロタイムからの無意味で必要性のない華やかなフェラーリポーズ。
このファンサービス精神が最高。
ゴールドシップは人が何をしたら喜ぶのかを分かっています。さすがスターホース。

ああ、馬はいい。
馬はいい。

そんなある日、開運の祐気取りに行ったら、宿泊先にまで馬が。ホテルに着くと、お出迎えにポニーちゃん。

併設の公園に散歩に行くと、大きなお馬さんたち。

運気を上げる方位を選んで宿泊先を選んだだけなのに、ここでも馬が出てきてびっくりしました。
今の私、馬運がツイている?
馬に導かれている?

そもそもが私、日干支(生まれた日の干支)が丙午ひのえうまです。
馬は幸運のシンボルなのかも?

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人生に新鮮な風を呼び込むコツは「やったことのないことをやってみる」。
アクティブに行動することが、流れを生む。

象に乗ったことはあっても、馬に乗ったことはない私。
もう、ここまで来たら行くしかないでしょう。
乗馬に。

低次の本能を操る訓練

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今回、乗馬にチャレンジした理由の一つが「低次の自分を支配するヒントが欲しい」。

昨今は支配というワードにネガティブなイメージがあります。
支配は良くないことでコントロールは良くなくて、すべては対等で自由で尊重されねばならない――そんな風潮がありませんか。いつでもありのままいるのが良い、というような。

しかし、低い波動に合わせて「ありのまま」でいると危険も伴います。

食べたいときに食べたいものを食べ健康を損ない、やりたいときにやりたいことをやってゲーム依存になり、身なりにかまわず風呂にも入らず掃除もせず不潔なゴミ屋敷に住む――低い波動に合わせてありのままでいると、こんな状態に堕ちてしまうことも。これは少し困ります……。

自分の中の高い波動にチューニングして、その愛あるポジティブな世界を「ありのまま」を表現するならば大変すばらしいことです。ぜひやっていただきたいことです。それは内なる神性の表現そのものと言えます。

しかし、自分の中の低いネガティブな波動、獣(本能)の部分の「ありのまま」にチューニングすると、それが現実に鏡として映し出され、なかなかハードな世界を作り出すことにもつながりかねません。

ならば、低次の自分を抑圧すればよいのか?
――というと、それもまた困ります。
なぜなら、低次のエネルギーはこの三次元的物質界における活力でもあるからです。

低次の自分(本能的な部分)を単純に悪として抑圧すると、やる気がなくて無気力になったり肉体的に虚弱になってしまうこともあります。体力がなく生命力に欠け、覇気に欠けるようになります。

ですから、私たちに必要なのは低次の本能的な欲求を上手く支配すること、コントロールすること。低次のエネルギーの中からパワフルな生命力を取り出し、なおそこに溺れないこと。
比喩的にいうなら「馬を上手く乗りこなすこと」。

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そしてここで重要なのが、「馬の主人であること」です。

馬が好きだからと言って「お馬さんかわいいかわいい」ではいけません。犬もそうですが馬から下に見られてしまうと、言うことを聞いてくれなくなります。
自分より物質的に力を持っている馬を制御できないのならば、危険が及びかねません。

これを現実生活での人間の内部で起こることに置き換えると、自分の内にある低次の欲求(肉体からわきおこる本能的な欲求)を制御できなくなった状態です。明日7時に起きねばならないのにゲームが面白くて3時まで夜更かしをしてしまう、パートナーを裏切ることをわかっていて他の異性と性的に接触してしまう、これ以上飲んだら肝機能が危ないのにアルコールをやめられない、といった状態です。

繰り返しますが、本能的欲求があること自体が悪ではありません。
制御できないことが悪なのです。

本能的な欲求は制御し上手く利用できるならばパワフルな生命力に変容されます。
行動力や実行力がみなぎり、アクティブでエネルギッシュになれます。

つまり馬と親しみつつも手綱は自分が握る。自分の命令を実行させる支配力を持つ。馬にたいして「自分のほうが上である」ときちんと教え込む。相手を対等に扱わない。ちゃんと「ウエメセ」する。規律を守らぬ行動を許さず、毅然とした態度を取る。相手から尊厳を守る、平たくいうとナメられない。

これを、自分自身の低次の領域(ネガティブなところ)に対して行う必要があります。
それを比喩的に訓練できるのが、乗馬なのです。安全に馬に乗るためには、人間の指示を守らせる必要があります。馬の行動を支配する必要があります。もちろん、愛情を持った上で。

馬が合わせられないなら俺が合わせればいい

馬に乗りながら少し速度を上げると、上の動画のように上下運動をすることになります。

ここで重要なのが、馬のリズムに合わせること。
指示自体(このくらいの速さで走りなさいよ、方向はこちらですよ)は自分が出します。大枠は自分が決める(支配する)のだけれども、それを実行する際のリズムは相手に合わせるのです。

これはトランサーフィンやタフティのいうところの「ゴールだけ自分で決めて、プロセスは外的意図に任せる」という事象に似ているかもしれません。

馬のリズムに合わせるので、いつ跳ねるか沈むかは馬次第です。そこを「私のリズムに合わせなさいよ」というのは難しい。7月に運気のピークを持ってきて9月は落ち着く、なんて計算通りにはなかなかいきません。

現実でも、細かいプロセスまで自分の思う通りに進めようとすると執着が生まれて失敗します。
大きく決めて指示を出したならば、そこからできた流れを信頼してゆだねる必要があります。浮き沈みがあっても、気にせずそこに沿って流れていくのです。そもそも浮き沈みがないと、前に進みません。

この「大枠(最終目標)は指示するけれども、決めた後は馬に沿う」というのは実にこの世界の乗りこなし方(自分が望む世界の作り方)にも通ずるものがあるのです。

過去世の経験を現世で生かす

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乗馬にチャレンジした理由の二つ目が「過去世の経験はどれくらい生かせるのか試す」。

私が今のところ有効活用できていると感ずる過去世の性質は、神官・巫女としての能力とお針子としての能力です。

正直、今世で私はスピリチュアルな能力開発の努力をほとんどしてきていません。いきなり目覚めてドンという感じです。(それはそれで、慣れるのになかなか大変ではあったのですが……)

そして、裁縫も結構得意です。これも人に習ったことはほとんどなく、適当に自分のやりたいようにやって適当に形にする感じです。それも、型紙から起こして形にするのでは気分が上がりません。体に布を巻き付けてピンで止めてそれをジャキジャキと形にしていくのが最高に楽しくて大好きです。一般的に言う立体裁断ですね。これも昔のお針子スキルなのではないかと考えています。(昔って、そもそも今みたいに紙が普及していなかったでしょう?)

そして私はモンゴルで遊牧民(男性)だったことがあります。そのころは馬は自分の足のようなものでした。
実は昔弓道をやっていて、そして馬に乗れるようになったらこのモンゴル感コンプリートという感じです。馬に乗って、弓を射る。流鏑馬までは、難しいですけれども……。

今回乗馬にチャレンジしてみたら、
「ああ。確かに昔、馬に乗っていたのかも」
と感じました。

そもそも、サラブレッドに乗るのはすごいことです。
160~170センチの高さのバイクや自転車に乗ったと考えてみてください。その高さで動くのですよ。ちょっと怖くないですか。

でも、私は今回このマイネルの芦毛おじいちゃんに乗って「うわー楽しい」とふつうに思いました。不思議と恐怖はありませんでした。乗馬スキル自体は全くないので、バランスを崩して前につんのめってしまって、馬の首に抱きつくような形になることもありました。

しかし、その時も「大丈夫、この馬はうけとめてくれる」という不思議な安心感がありました。もちろん、乗馬クラブの普段からの調教が素晴らしいことが前提としてあります。その上で「こういうことはよくあること」くらいのそれほど驚かずに面白がって受け止める自分がいました。おじいちゃん(馬)に遊んでもらっている孫のような。

肉体的な乗馬スキルはお世辞にも上手いとは言えないレベルですし、自分が過去に乗ってた馬はサラブレッドみたいな優美な馬ではありません。もっと小さくて足が短くて太くて丈夫で無骨な馬です。もっと乗るのが簡単。「よいしょ」で乗れる馬。(ちなみに弓も和弓より遥かに小さいものでした)

だからちょっと違うと言えば違いますが、でもやっぱり、馬に乗るのはいいなあと思いました。

昔取った杵柄――ではないですけれども、過去世でやってきたことは今回の人生でも楽しみやすい傾向はあるかもしれません。
ただし、「それは過去に学んできたのだから、今回の人生は別の学びをしよう」という場合は本格的にそのスキルを活かす方向に行かない(仕事にはしない)場合もあります。私にとって乗馬や裁縫はそのようなものかもしれません。

あーかわいい。馬かわいい

ここからは語彙力が消失した余談です。

私が乗馬クラブで乗せていただいた馬は、メジロマックイーン産駒(メジロマックイーンの仔)でした。

メジロマックイーン – Wikipedia

メジロマックイーン。
ゴールドシップのおじいさん。
ゴールドシップのお母さんはメジロマックイーンの子です。

しかも、マイネルの馬でした。
ゴールドシップの仔たちにもマイネルの馬がたくさんいるので、不思議な縁を感じましたね。

更にマックイーンやゴールドシップと同じ芦毛です。年齢もありほぼ白馬。
大人しくて人に慣れたおじいちゃん馬でした。
25歳を超えても人を乗せられるくらい元気。

競走馬に詳しい方は、メジロマックイーン産駒という時点でかなり高齢なのではと推測されることでしょう。クラブにはメジロライアン産駒もいました。それくらい年齢を重ねても乗馬の仕事ができる時点で、丁寧に世話をされているのでしょうね。

もちろん、現役バリバリ馬術競技で活躍していそうなディープインパクト産駒やハービンジャー産駒やクロフネ産駒などもいましたよ。メイショウさんちの子もいました。みんなご飯をモリモリ食べて、毛ヅヤが良くてピカピカです。

このようにクラブでは、乗った馬だけではなく色々な馬を見せてくださいました。人を怖がる様子はまったくなく、「誰? 誰が来たの?」と好奇心旺盛にからんでくるお馬さんが多かったです。本来臆病な草食動物である馬がこれだけ人を信頼しているのは、普段から大切にされているのでしょうね。

馬とのコミュニケーションや乗馬を通じて癒される、ホースセラピーが注目されています。
馬って、大きくて暖かいです。人間より体温が少し高いんですね。
大きくて暖かいものにふれると安心する。だから癒されるのかもしれません。

ボス猫メトとメイショウドトウ 単行本(Amazon)

乗馬クラブにはメトキャッツを彷彿とさせるようなビッグサイズのお猫様もいました。こちらも馬と同じく大変人なつこくて、初対面の私とも遊んでくれました。

人でも動物でも、人見知りをしないって抜群に素敵なこと。人見知りしない人(動物)って好感度が高くて大好きになっちゃいます。
私自身も人見知りしない=オープンハートな愛ある人間でありたいです。このお猫様を見習いたいですね!

このフレンドリーな猫に驚いたのが、嚙む力と爪を立てる力。絶妙に痛くない嚙み方と爪の立て方と蹴り方をするのです。だから、全力でじゃれてこられても全然痛くない。すごい芸当です。

力加減を知らない猫にじゃれてこられると「いたたたた」となりますし、下手をするとひっかき傷らだけになります。この猫はその加減を心得ている。まさにおもてなし猫。かわいい。もふもふ。

馬と猫と緑に癒されてきました。
乗馬クラブ様、素敵な時間をありがとうございます。
心を豊かにしてくれる時間と空間に感謝です。