人生を神の手に委ねる そのためのエゴの手放し

東京都
榛名提督様からの
体験談

Nozomi先生

先日のカウンセリングでは、大変お世話になりました。
ちょうど半年前、4月のカウンセリングの際に、転職に関するご相談をさせていただきましたが、お陰様で7月より新しい会社で再スタートを切ることができました。
不安に感じることも多々ありましたが、前の会社を退職する間際も、ただただ慌ただしくなるばかりで、心の整理をつける間もなく、怒涛の勢いで新しい会社への入社と相成りました。感傷に浸る暇もありません。。。

入社後は、まったく世界が一変してしまいました。仕事は厳しい一面もありますが、非常に優秀で人格的にも素晴らしい人々に囲まれてます。
他人の悪口なんてのも聞きません(これは本当にびっくりです)。なんだかすごく波動が高い?環境にいる気がします。

ここまで大きく環境が変わってしまったため、これから自分はどのようにして生きていこうか、人生の方向性が見出せなくなってしまいました。

そんな中、先生や上の人?からは、非常に大きな転換点を迎えたので、今はこの状態を消化すること。周りのこの空気感にしっかり馴染むこと。
はやる気持ちはわかるが、その一方で緩むことも大切。今は緩み、無駄を味わう。まだ時間も経っていないのだから、焦る必要はない。今は消化期間。
とのお言葉をいただき、とても気持ちが軽くなりました。今後の事は、それらが終わった後になる、とも。

また、私自身が感じていた、これまでのキャリアに対するコンプレックスも、もう無くなったのであれば、その背負い込んできた重荷を解放し、解放された軽い状態に慣れること。これからは自分を卑下することなく、褒められたら素直に受け取れるようになること、という点も心に留めておきたいです。

セッションの最後に伺った、人生の主導権をエゴではなく、本質の自分に委ねてしまった方が、人生労せず上手く、ということについても、あーやっぱりな、と非常に腑に落ちました。そのためにも、願いの成果をちゃんと受け取ること、以前の自分のように、願いの成果を受け取ることに抵抗しないこと、これも常に心掛けるようにして、これからを歩んでいきたいと思います。

また折を見てセッションをお願いさせていただきますし、札幌に出向いた際には、是非ご連絡をさせていただきます。
急に秋の色合いも濃くなって参りました、、、と時候の挨拶を書きかけましたが、札幌で初雪のニュースを見ました。今年は随分早い気がします。。。
寒い季節がもう間もなく巡って参ります。どうか体調にはお気をつけてお過ごしください。
今後ともよろしくお願いいたします。

東京都
榛名提督

写真AC

Nozomiより

榛名提督様、素敵な体験談をありがとうございます。

人生の転機。
変化が激しい時。
そんなとき、私たちはどうしても戸惑います。榛名提督様も、そんなプロセスの中にいらっしゃることが伝わって参りました。

新しいフェーズに入ることは、とても怖いです。
しかし時間は容赦なく流れていきます。
そういったときに、私たちに必要なのは慣れること。怖がる自分をなだめ、ただただ毎日を繰り返すことです。

まずは環境に慣れないと、「自分が本当にしたいこと」なんて冷静に考えられません。足場を作って余裕を持てるようにすることが先決です。

こういったときに「本当にこれでいいのだろうか」哲学的なことを考え出すと、却って悪い方向に行く場合があります。一方で、違和感を抱いてそれに従うことこそが大切な場合もあります。自分の心に問うて立ち止まるべき場合もあります。

(ですから、ここをご覧の方は安易に「この人とシンクロしてる」などと判断なさらないでください。こういったことの判断は難しく、個々人のプロセスによって必要なアクションは180度変わったりします。ブログを読んでいるだけではわかりません。セッションで判断しないとわからないのです)

こちらの言葉。
本当にその通り。真理です。

ちっぽけな私たち人間の頭では理解できない壮大なレベルで、緻密に宇宙の法則は理として機能しています。
頭で考えてもしょうがないので、自分のできることをできる範囲で一生懸命やって、あとは天にお委ねする。天のしたいようにすることを許す。

神社にお参りするとき、私は手を合わせて「どうぞ、私をお使いください」とお願いします。
なぜなら自分で願って動いたところで、そんなにすごいことなんて起こらないから。感動がおこらないのです。一方で天にゆだねて生きると、「こんなこと、本当に!?」という驚きや感動やワクワクが人生にもたらされます。

雄大なる宇宙は、人間の思考や固定観念では動いていません。
自然もそうです。
都市生活の人間は自然から離れているので、なかなかそのことを体感しにくい状態となっております。

ですから、油断するとエゴの魔手にからめとられてしまうのです。

写真AC

むかしのバルドラの野原に一ぴきのさそりがいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。

するとある日いたちに見附みつかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、

ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。

それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにれてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。
私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかい下さい

って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。
いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。
ほんとうにあの火それだわ。

蠍座アンタレスと星々
宮沢賢治 銀河鉄道の夜

この蠍は、小我で生きていました。
自分の小さなエゴのみで。
その結果、虚しい死を迎えることになります。

けれども、エゴまみれで自分のことしか考えていなかったことを悔いたとき、その姿は美しい光――アンタレスへと変容しました。

自然の大きな営みを本能として知っている動物は、このような過ち――エゴで生きることを犯さず、雄大なる理のもとに動くことがあります。例えば、メスをめぐる戦いでぼろぼろになったオス馬が取る行動がそれです。

馬と話す男: サラブレッドの心をつかむ世界的調教師モンティ・ロバーツの半生(Amazon)

もう、あしたへ命をつなぐ望みはなかった。

二頭が再びわかれた時、わたしはすべてが終わったのを知った。
傷ついた馬は、ほどなく捕食者の群れに取り巻かれ、一日か二日で食い尽くされてしまうだろう。

もちろん、馬もそれを悟っていた。
敗北した馬が自殺的な衝動に駆られて、わざわざピューマが群がる場所まで歩いていき、みずからを餌食として差し出すことも珍しくない。

 馬と話す男: サラブレッドの心をつかむ世界的調教師モンティ・ロバーツの半生 p133

先述の蠍とは違って、傷ついた馬は自らの身を捕食者に捧げるのです。
それが自然の理だから。敗者になったから価値がないのではなく、自らの命を捧げることで何頭かのピューマの命を救うことになります。

ブッダも前世の姿の時に飢えた虎の母子に自分の身を捧げて、母子の命をつなぎました。

捨身飼虎図(法隆寺所蔵)

エゴで考えたら、とんでもない愚かな行いです。
しかし小我を捨て大我に委ねるならば、それこそが正しい行いであったりします。

人間の小さな思考では、宇宙の大きな慈愛は図れません。
しかし私を含めた人間はどうしてもエゴにしがみつきます。ですから、定期的に手放しすべてを委ねて流れに沿うことを求められます。これがまた難しいのですが、私たちはその機会を生かして成長せねばなりません。

この祈りは、恒久的な祈りであると感じます。
私自身も思います。まことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。

そして、そのためにはエゴの手放しが必要です。
エゴが居座っていたら、神の手が背中を押したとき「そんなの怖い、不安、無理無理」と固まってしまうから。エゴを手放していれば、軽やかに神の手に乗ることができるから。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

上の画像は札幌グランドホテルのバーの一角です。
美しい空間で豊かな時間を過ごせるのはたいへん幸せなことですね。
(榛名提督様もこちらのバーにいらっしゃったことがあるそうです。センスの良い方は素敵なお店に導かれる……)

お互い神の手による導きに従えるよう、肉体のコンディションを整えていかねばなりませんね。体の声を聞いて、調整して参りましょう。またお会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました。