過去のパターンを手放し未来を作る力~馬と話す男

私は最近「馬と話す男」という本を読みました。

馬と話す男: サラブレッドの心をつかむ世界的調教師モンティ・ロバーツの半生(Amazon)

きっかけは、Horsy Coffee Houseさんの動画で紹介されていたからです。

動画内でも詳しく説明されていますが、この本は馬と人とのかかわりを変えた調教師モンティ・ロバーツについて書かれた本です。

昔は、馬を縛り付け苦痛を与え「人の言うことを聞かなかったらこんなひどい目に遭うんだぞ」と思い知らせることで馬を従わせてきました。

モンティ少年は大人たちが行う残酷な方法が好ましいとは思えませんでした。別のもっと良い方法で馬とコミュニケーションを取れるのではないかと模索し、見事に「馬と話す男」になります。モンティが馬に苦痛を与えることなく人を(乗せることを)受け入れるように訓練する実演が、下の動画です。

はじめ逃げ回っていた馬はじきにモンティを受け入れ、鞍をつけて人を乗せることも受け入れます。
これ、なんてことなくやってるように見えるかもしれません。ですが、本当にすごいことなんですよ。人を乗せたことがない馬が鞍を受け入れて人を乗せるって!

モンティは、親や周りの大人たちから「馬を甘やかすな」「無気力になるまで思い知らせろ」「馬は一度痛い目に遭わないとわからない」と教わります。下の動画に、当時の様子が少し紹介されています。

このように縛られて自由を奪われ苦痛にあえぐ馬たちを見て、モンティはどうしても違和感がぬぐえませんでした。

大人たちの圧力に屈して過去のパターンを繰り返すことは難無いことです。しかし、モンティはその過去のパターンを繰り返すことを選択せず、もっと愛ある道を選択しました。

モンティが人と馬の間に愛ある橋をかけてから50年以上が経ち、日本でもその一端を感じられることがあります。
ある乗馬クラブの方がこういっていました。
「昔の、特に地方競馬から来る馬は痛めつけられて人を憎み恨んでいて、乗馬クラブに来た後も人を信じない馬がいた。でも、今はそんな馬はあまり見ない。大切に扱われてきたんだなと感じられる人を信じてくれる馬が多い」

モンティの物語は、単に馬と通じ合うという面だけではありません。
虐待を受けた子どもであっても、愛ある人生を築くことができるという輝かしい実例でもあります。

モンティの父親は、馬相手だけではなく息子にも残酷なふるまいをする人でした。
加えて、モンティの馬に優しい調教方法を、死ぬまで認めませんでした。イギリスのエリザベス女王がモンティの調教師としての腕を高く評価した後でさえ、です。

モンティ少年は、父に認められたいと願っていました。
当たり前です。子はそういうものです。
でも、それは一生叶いませんでした。

モンティは父から強く否定されても、自分の感覚を信じました。貫きました。馬だけではなくたくさんの人を救いました。(モンティは実子以外にも30人以上の養子を取って面倒を見ています)

「だってうちの父親はああだから」と親のせいにして自分の能力を曇らせることはありませんでした。
一生懸命言葉を尽くして父親に認めてもらおうとはしませんでした。自分の道を閉ざさぬために、潰されないように、父や無理解な大人たちには自分の調教法を見せぬよう慎重に隠す努力さえしました。

馬に乗り牛を追う88歳(!)のモンティ・ロバーツ

親が何と言おうと、淡々と自分の道を歩む。
そうすれば、おのずから光の道を行けるのだ。

モンティの生き方はこの真理を教えてくれます。
親に認められることを求めているうちは、人として成熟していないとも言い換えられるかもしれません。親に認められたい気持ちは当たり前にあるものですが、大人になった私たちはそこから卒業していく必要があります。

ただ、これはその人その人の段階、プロセスがあるので一概に言えることでもありません。
本来はブログには書かず、セッションでその人自身の魂のフェーズを見てお伝えすべきことです。ブログでお伝えするにはかなり無理があります。下の斎藤一人さんの動画でも言っているように。

この通りで、「いったんすべて親のせいにしよう。あなたは悪くない」という言葉が必要な段階の人もいます。例えば、すっかり「良い子」になってしまって、自分の真の感情にアクセスできなくなってしまっているような人です。

こういう段階の方にはいわゆる「自分の親は毒親(な部分もある人)だった」という自覚を獲得できることが必要です。信田さよ子さんの本がおすすめです。

母は不幸しか語らない 母・娘・祖母の共存 (Amazon) 

ここで荷物をいったん降ろす。
人生の棚卸しをする。
それによって、自分のゼロポイントを知る。

この作業をしている最中は、親の悪口をむしろ口にしたほうが良いし、すべて親のせいにしてしまって良いです。

このプロセスを一旦終えたら、親のせいにするのではなく自分で責任を負うフェーズに移行します。
「まだ親を許せていない」「まだ親には恨みがある」「親のせいなのに自分が悪いというのか」と思うかもしれません。しかし、ある程度の時間をかけたならプロセス卒業の時はやってきます。いつまでもとどまっていては、魂の成長を阻害しますので。
(そしてここの見極めもまた難しいので、ブログで書くべき内容ではないと感じます。個人セッションで触れるべき内容を無理に一般化して書いていることを、勝手ながらご承知おきください)

「親のせいにするのではなく自分で責任を負う」ができてはじめて、人生は自分の手の中に舞い込んできます。人生を、自分の好きな形にクリエイトしていけるワクワクした段階に入っていけます。

その人がどこの段階にいるかで「こうしたほうがいい」は変化していきます。
季節が移り変わるのと同じように、人生も色を変えていくのです。

どの人も最終的には「自分の人生は自分で責任を負うこと」が大切になってきます。
モンティも、自分で責任を負って馬を自分流で調教するようになりました。そして、残酷な方法ではなく対話するように馬と仲良くなれる方法を編み出していきました。

父親にされたことを繰り返すのではなく、よりよい愛ある方法で人生に対処することを選択したのです。

私は、モンティのように生きたいと思います。
親から与えられた過去のパターンを繰り返すのではなく、愛ある選択をしたいです。
さて、あなたはどうですか?

画像元:Monty Roberts – The Man Who Listens to Horses – Trust-Based Horsemanship