「癒しを受け入れる」という能力

女神の力を受け入れた女性

先日、ヒーリングでお客様に女神アメノウズメのエネルギーを流しました。
その時の体験談はこちらです。

ヒーリングをしていて思いました。
「S様は、アメノウズメの力を受け入れられるほどの潜在的な女性性をお持ちなのだな」と。

ヒーリングが上手くいくか、効果がどれほど出るかは「ヒーリングを受ける人がどれくらい準備できているか」にかかっています。言い換えると「どれほどの癒しを受け入れる力があるかどうか」が問われます。

(もちろん大前提として、ヒーラー自身の癒しの能力が優れているかどうかも大切です)

「癒しを受け入れる」
こう聞くと「癒されたいのだから癒しを受け入れるも何も、ふつうに癒されるものだろう」と思われるかもしれません。

しかし、私たちは意外と癒されたくありません。
場合によっては、トラウマや自己否定を後生大切に抱え込みたがる傾向すらあります。

それを思い知ったのは、私自身がヒーリー(ヒーリングを受ける側)になった時の経験です。

癒されるために必要な力

私は以前、骨折をしたことがあります。
病院で撮影したレントゲンを見てお医者様はこう言いました。

「あなた、運がいいね。ここが少しずれてたら即手術だよ」
「運が良ければこのまま治ります」

私は思いました。
「ふうん、なるほど。私は運がいい人間だから、このまま治るな」
なんて図々しいのでしょう。笑

そして病院から帰った後、こう考えました。
この骨折を病院に通わず自分の手で治療しようと。

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野口整体の創始者、野口晴哉先生の息子は、幼少期に太腿を骨折しました。将来後遺症が残るだろうと言われるくらいの大けがでした。その時野口先生は治療家人生にかけて息子を治すことを決意しました。自分の息子を治せずして何が治療家であるか、と。

そして野口先生が行ったのが、目への輸気(手かざし)。
目を治すと、足が治ったそうです。
息子さんは後遺症もなく、どちらの足を折ったか忘れてしまうくらい回復しました。

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三軸修正法(効けば自分で無限無料整体が毎日できる方法です)の池上六朗先生の息子――小学校4年生だった長男は左半身の感覚麻痺と成長不全という奇病で余命宣告を受けました。
その時に東大病院の先生からこう言われたそうです。
「父親のあなたがなんとかしなさい」と。医者ではなく、父親がなんとかしなさいと。

そうして池上先生は航海士や金属加工業であったときの経験から、体の変化を人の都合ではなく自然現象の一部ととらえる三軸修正法を息子と共に実践していきました。余命半年と言われた長男の池上悟朗さんは見事に回復し、現在では父の三軸修正法を継いで多くの人の体を楽にしています。

このような大先輩方を見て、私も考えたのです。
「自らをヒーラーと名乗るならば、骨折くらい自分で治せ」と。

(これはあくまでも治療家(ヒーラー)視点の話です。一般の方は真似をなさらぬようお願い申し上げます)

しかしながら、正直、私の出番はあまりありません。
一番の治療家は、なんといっても身体本体。

体はすごいです。
毎日食べて寝ているだけで、細胞は新しくなって血も骨も造られていきます。

何の努力もしてないです。
ごはんを食べて寝ているだけで回復。
身体って、なんてすごいのだろうと感動しました。

一番のヒーラーは自己治癒力だったのです。
一番の医者は、身体自身。

次に私は、少しはヒーラーらしくしようと高次のヒーリングエネルギーで骨折を癒そうとしました。
すると、面白いメッセージが返ってきました。

「今回あなたが骨折したのは、かかとを割ることで今まで拒絶していた大地からのエネルギーと直接つながれるようにしたかったからだ。古い骨と新しい骨を今入れ替えていて、新しい骨に入れ替わったらあなたは1オクターブ上の大地のエネルギーとつながることになる」

これを聞いたときの私の反応。
「は?何それ? ヤダ怖ッ!」

…………。
これが普段から高次のヒーリングエネルギーをお客様に通すヒーラーの態度でしょうか。なんと情けない。

前置きが長くなりました。ここで最初の話とつながります。
「ヒーリングを受け入れる能力」です。

私は自分の骨折がそんな大きなヒーリング、エネルギーの転換、オクターブのジャンプにつながっているとは全く思っていませんでした。

しかし、確かにその兆候はあったのです。

不思議な話なのですが、骨を折ってから体のむくみが取れました。折った左足はもちろん腫れてむくんでいるのですが、右足は運動不足なのにアキレス腱くっきりのむくみゼロ状態。加えて、口内の感覚が子ども時代や10代の頃に戻りました。給水と排泄の感覚が10代の頃に戻りました。

なんだかよくわからないけれども、身体が軽い。骨を折ったのに。
骨を折ったのにあまり心も沈まず、割とゆったりしている。
なんか骨を折った後から、若々しくなっている?

これらの現象は、「1オクターブ上の大地のエネルギーとつながる」ことのつながりと考えると、すっきりします。

しかし、指導霊からその話を聞いた私はすっかり縮み上がってしまいました。
そんな壮大な意味があるなんて、怖くなってしまったのです。

いやはや、怖がっている場合か?
ヒーラーとして高次の癒しの力を借りず治療するのはヒーラーと言えるのか?
高次の力を借りてこそスピリチュアルヒーラーといえるのではないか?

私はそう思い、アルクトゥルスの高名なヒーラーにお願いして、ヒーリングエネルギーを足に流してもらいました。

効果は抜群でした。
足の腫れは引き、内出血が治まるスピードが段違いで早くなりました。

ですが、ここで私の「癒されたくないもう無理無理無理やめて」モードが炸裂。
そう、人間は意外と癒されたくないのです。

そもそも癒しが何をもたらすのか――特に肉体だけの癒しではなく魂や精神を伴う癒しとは何が起こっているのか。
この問いに、私は直面することになりました。

私は今回の骨折で骨を折っただけではなく大量の血液と体液を放出することになりました。
その意味は、「いらなくなった古いエネルギーを捨てて排出する」。
足にたまった古い血(≒エネルギー)を大量に強制的に排出することで、一気に新しい(1オクターブ高い)エネルギーに入れ替える作業です。

腫れや内出血を治めるというのは、その古いエネルギーを一気に排出することを意味します。
古いエネルギーを排出(浄化)された私はパニックになったのです。
「いやだいやだ、こんなのいやだ!かんべんして!」

変化というものは、それがたとえ上向きでポジティブであったとしてすらストレスになります。新しいものに対して私たちは本能的に不安を抱くようになっています。それがいくら1オクターブ上の、光あふれるものであったとしたって、初手「怖い」なのです。

私はいったんアルクトゥルスのヒーリングエネルギーを流すのをやめ、自分を落ち着ける(新しいエネルギーに慣れさせる)作業へシフトしました。強引に癒しを進めても、私はかたくなにそれを拒んでしまう。それでは肉体だけが癒されて魂や精神はこのチャンスを生かせずに終わってしまう――つまり、私はそこまでの深い癒しを受け入れる準備ができていなかったのです。

まずは少し後退して古いエネルギーに馴染んだものを取り入れ(健康的ではない食事、例えば菓子パンを食べる、新月にファスティング(断食)をしない)、骨折以来ほとんどデジタルデトックス状態(1日30分ほどのメールチェックのみ)だった生活を変更し、ネットで株式市場のチェックやニュースを見ること(人生にとってそこまで本質的ではない表層的な行為)を行いました。

すると、少しずつ心が落ち着いてきて、向き合う余地が出てきました。

アルクトゥルスのヒーラーに依頼して高次のエネルギーを流してもらったとき、物理的にはお小水が濁りました。こんなことは初めてだったのでとても驚きましたが、目に見えて「出ていった感」があり面白くもありました。ちなみにすぐお小水の状態は元に戻りました。

あと、不思議なことに骨を折っていないほうの健康な足の裏がボロボロになって真っ白に粉を吹いて皮膚が剥がれ落ちていきました。痛みやかゆみ、違和感や出血はなく、ただボロボロになって皮がはがれていく。冬にかかとが粉を吹くことくらいはありましたが、こんな全体で真っ白になる現象は初めてで、驚きました。ちなみに、2週間くらいボロボロ皮膚が落ち続けた後、足裏は元の状態に戻りました。

悪いものは足の裏から出ていくというのは、それなりに聞くことです。足裏にシートをはってデトックスなんて商品もドラッグストアで見かけますよね。それと似た現象が起こったのかもしれないと感じております。

そして古くて悪いものが物理的に出ていったと同時に、今までごまかしていた、ふたをしていた感情が一気に表出。
「いやだいやだ、こんなのいやだ!かんべんして!」
となったのは、この見たくない受け入れがたい感情を突き付けられたからです。

しかし、浄化したら見えるのです。
今までは濁っていてわからなかったものが、清い水に変わったら底まで見えるのは当然の理。
底には実はヘドロがたまっていた。それに以前の私は目をそらしていたのです。

そうしてお砂糖たっぷりの菓子パンを食べ(笑)適度に波動を落として自分をなだめつつも、見えてきたヘドロ(感情)を少しずつ受け入れていく作業をしました。この間ももちろん高次のヒーリングは切っています。肉体の自己治癒力に任せるのと心の整理をつけることを重点的に行いました。

そして、一旦落ち着いた状態を創り出した後――準備を整えた後、高次のヒーリングエネルギーを流すことを再開しました。実はアルクトゥルスからのサポートを受け入れることをやめてから腫れやむくみが戻ってきていました。波動を落としているのですから当然と言えば当然です。しかし、ヒーリングエネルギーを受け入れることを再開したら次の朝にはかなりむくみも腫れも引いてすっきりしました。

受け入れる力、受容力。
ヒーリングでもこの能力が大切なのだなと実感いたしました。

ちなみに、アルクトゥルスのヒーリングエネルギーは基本就寝中に流してもらっていました。ですが、寝入りばなに既に「ああ、今来てるんだな」と感じることもありました。足がビクッビクッとけいれんするのです。普段はこんなことはまずないので、面白い現象でした。

この経験をして思うのが
「高次の存在はいくらでも癒してくれる。ただし、私たちが受け取れる範囲内で」
ということです。

例えば、
「自分はこのがんが3日で治ります」
と受け入れられる人には、本当にそういうことが起こるでしょう。なぜなら、そこまで癒しを受け入れられる能力があるからです。

しかし、「自分はどうせ治らないよ」とか「自分はどうせ癒されない」とか「〇〇のせいで自分はダメだから」とか、そういう風にネガティブに自己否定する人(陰キャ)は、残念ながら癒される能力が低いです。高次から愛を受け取る能力が低いとも言い換えられます。

もちろん、肉体自体はそうやってネガティブに思っていても治ります。病院でもちゃんと肉体を治してくれます。その人の自己治癒力の範囲内で。
しかし、その怪我や病気が肉体と同時に魂や精神まで癒してくれるかというと、別の話になってきます。

すべての怪我や病気は意味があって起こります。その深い意味を掘り下げてすくいあげて受け入れられた時に、魂や精神までが肉体と共に癒されます。スピリチュアルヒーラーが目指すのはここで、肉体だけが癒されるのではなく魂や精神までがともにバランスよく癒されることが望ましいです。

しかしながら、そのためには癒される側の「癒される能力」癒しを受け取る能力が試されます。
一時期の私のように「いやだいやだいやだ今までのダメな自分がいいんだ」となってしまうと、ヒーリングを受けても元に戻ります。整体を受けても2~3週間で戻ってしまうように(だって、そもそも精神が歪みたいならば、背骨だって骨盤だって歪みたいですよね)。

自分の癒される能力を拡張する。
受容性、癒しを受け入れる能力を培う。
癒される側になってその大切さを痛感いたしました。この気づきが得られたのも骨を折ったおかげです。

私たちはいくら癒されてもいいのです。
癒されたいだけ癒されていいのです。
ですから、癒しを受け取る能力、愛を受け取る能力を、より成長させると良いのかもしれません。

高次の存在は、いつも私たちの力になってくれます。
本当に感謝です。
ありがとうございます。