私は昨年11月から1月まで、メンタルモデルワークブックを仲間と一緒に行ってきました。

自分でまず1周やってみて
「これは究極のインナーチャイルドケアだ!」
と思い、仲間を集って2周目を行いました。
そして今日またワークシートをプリントアウトしたので、これから3周目を行う予定です。進捗はゆるのん会で報告しますね。
メンタルモデルワークでみつけた「言霊」
このワークは12章にわたって行いますが、最後には「自分の一番奥に眠る言霊」を探します。自分を無意識に支配している生存適応OSをつかさどる一言です。
私の場合、それはこの一言でした。
「やっぱり私はダメなんだ」
何をやってもダメ。
上手く行ってもダメ。
どうせやってもダメ。
これです。
1周目も2周目も、この言葉にいきつきました。
そして、それによって自分の日常にいかに「やっぱり私はダメなんだ」が埋め込まれているのか、重低音のように常に響き渡っているのかが自覚できるようになりました。
そして、この「やっぱり私はダメなんだ」をメンタルモデル的な手法としてはどうにかしようとしません。ただ感じます。回避行動(克服・逃避)をとろうとする自分を抑えて、じっと痛みを感じます。
そうして感じていると思ったのが「本当に母は母であることが嫌だったんだな」ということです。母親業が心底辛かったのだと。
なぜなら、この「やっぱり私はダメなんだ」は自分から芽生えてきたというよりも、多分代々受け継がれてきた思念(DNA)なのだろうなと感じたからです。
女性が母親にならなくても許される社会を
母はたびたびこう口にしました。
「アンタがやることはお母さんの責任になるからダメ!」
つまり、母の顔に泥を塗らない範囲内の行動ならOKですよ、ということです。
このような発言は、メンタルモデルワークをやった後の今だと「本当に子育てに自信がない人だったんだな」と感じます。
上の言葉と対極なのは、例えば
「何かあっても、お母さんがあなたを守るから大丈夫」
「お母さんはあなたのこと信じてるから思いっきりやりなさい」
こんな感じでしょう。子どもを信頼して子育てに臨めるならば、こういった姿勢も可能です。
母は、育児書を一生懸命読んでいました。
私は、「本じゃなくて私を見てほしい」とさびしく思いました。私は本に載っているような「一般的な子供」ではなく、一個人としての私であると認識してもらいたかったからです。
育児書を一生懸命読む時点で、生の子どもには向き合えない、子育てに自信がなかったのだろうと感じます。

オルナ・ドーナトの母親になって後悔してる。
これは私にとって実に画期的な本でした。
「ああ、お母さんの気持ちが書かれている」と感じました。
母はいつも不機嫌でした。
「結婚なんかしたくなかったのに」
「私が仕事をやめなかったらお父さんより出世してたわよ」
「みんなやりたいことやってるのに、お母さんだけ我慢ばっかり。お母さんだけやりたいことできない! あんた(子ども)たちがいるから好きなインテリアにもできない!」
母がいかに妻・母親業が苦痛だったかを波動的に如実に物語ることがありました。
それは、食事です。
母は、いつもイライラしながらこう言っていました。
「ご飯なんか作りたくない!」
「ああ!もう!献立考えるのなんて面倒くさい!」
「私だけこんなに早起きしてみんなのお弁当作ってあげてるのよ!?」
母は、料理上手でした。
でも、みんな母の料理を食べたがりませんでした。「ごはんできたよ」と母が呼びに行っても、私も妹も父も、なかなか食卓にはつきませんでした。
お母さんのつくった手の込んだ食事よりポテチが食べたかった。
幼稚園の頃から、母の弁当は気持ち悪くて食べたくなかった。
遠足の日にお弁当は作らなくていい、頼むからコンビニのサンドイッチを買わせてくれと頼み、添加物だらけのコンビニのサンドイッチの美味しかったことと言ったら!

とにかく覚えてもらいたいのが、調理する人の心が食事に転写するということです。
(森井啓二先生)
父は、いつもおなかが痛い人でした。
私も、いつもおなかが痛い人でした。
そして、妹はひどいアトピーでした。
私は、父親が胃腸が弱いので自分も胃腸が弱い、遺伝なのだろうと考えていました。
しかし、家を出て一人暮らしを始めると――
おなかが痛いの、治ったのです!
妹に至っては、アトピーがすっきり治りました。
空気も水も汚いはずの東京に住みだしたのに!
そう。
「調理する人の心が食事に転写」していたのです。
母の「ごはんなんかつくりたくない!」という怨念をあびた食事をとることで、家族は体に不調を抱えるようになっていたのです。
つまり、それくらい母にとって、妻であり母であることはストレスフルだったということ。
子どもはお母さんが大好きです。
お母さんには幸せになってもらいたいです。
だから私は母親になって後悔してるを読んで、素晴らしい本だと思いました。これで女性たちが「母親業は嫌です」と言える風潮が受け入れられるかもしれない、と。
「母親にはなりたくない」
そう素直に言える社会になったら、母のような母親業に向かない女性が不幸な人生を送らなくてもよくなります。一人の女性が、幸せになれます。

日本版でも、「母親になって後悔してる」が語られ始めました。
私は、一人でも多くの「母親業に向いていない」と感じている女性が、素直に自分に向いている道を歩めることを希望します。
お母さん。
生まれ変わったら、結婚しないで子どもも作らないで、幸せになってね。
回避行動としての性虐待
私は祖父と父から性的虐待を受けて育ちました。
メンタルモデルワークをやったあとそのことを思うと、「やっぱり自分はダメなんだ」は父にもあったのではないかと感じます。回避行動のために小さな女の子に性的な接触を求める。それは祖父もそうだったのではないかと。
父は本当に器の小さい人です。
コミュニケーション能力が壊滅的に低いので、話を通じ合わせることは難しいです。
正直あの社会性の低さでは、いじめられていたのではないかと推測します。クラスにいたら、パシリになって媚びた笑いを浮かべると殴られるタイプです。それくらい、人間的な魅力の乏しい人です。当然友人もいません。
そんな状態だと、真実を突き付けられるのは辛いと思います。
真理に近いことを言われると「自分はダメなんかじゃない!」と逆上してしまうでしょう。痛みに触れられて回避行動(攻撃か防御)をとるからです。
そうなると、コミュニケーションは成り立ちません。
だから、自分が圧倒的に支配できる弱者へと攻撃性が向きます。
小さな女の子の体をもてあそび、竹刀で殴り倒します。
(父は剣道はやっていません。竹刀はもっぱら子供を殴る道具でした)
父は能力の低い人でした。
このことを認めることで、期待を手放すことができます。
私が欲しているかたちでの愛情表現は、無理なのです。だって、父にはその能力がないのだから。

では、祖父はなぜ幼い私に性器を押し付けたのだろう?
彼のどこにその鬱屈があったのだろう?
そう考えると、やはり「やりたいことができない人生」というところに行きつく気がします。
祖父は三男なのですが、兄二人が死んでしまったので、農家を継ぐことになりました。
本当は学問をやりたかった人です。二十歳くらいまで上の兄が生きていたので、自分は百姓にならなくても良いと考えていたでしょう。
しかし戦争で長兄が死んで、祖父に家業のお鉢が回ってきました。
祖父は戦争中に徴兵されて樺太のソ連との国境線沿いの前線へと送られました。もしかしたら「どうせ帰っても農家をやらなきゃならないんだったらここで死んでもかまいやしない」くらいに思ったこともあったかも、しれません。
しかし、終戦の半年前になって祖父は樺太南端の港町へと移動になりました。戦闘に巻き込まれることなく終戦したのです。
悪いことに――いや悪くはないのかもしれませんが、祖父の弟は学問の道を選びました。そして北海道大学に入り、そのまま北大で教授になりました。
もしかしたら、祖父はこう毒づくこともあったかもしれません。
「俺が戦争でそのまま死んでたら、お前が農家を継ぐことになったのに」
身内の出世は喜ばしいことですが、自分があきらめた夢をきょうだいが叶えてしまうというのは、なかなかしんどいことでもあります。
そういえば、母も「結婚していない人」「子どものいない人」を執拗にののしる人でした。
たびたび「子どもを産んでない女なんて何の価値もない!」と激高していました。
それは、主に叔母へ向けられる怒りでした。
「〇〇おばさんは結婚もしてないし子供も生んでないから全然人間ができていない!」
そして、私にもたびたび「アンタ〇〇みたいになるわよ!」と叔母の名を出して怒りを向けることがありました。
それは、母が叶えたかった夢「結婚せず子どもも生まず自由に生きる」という道を、叔母が歩んでいたからかもしれません。もう一段深く掘るなら、そんな自由に生きることを許される叔母がうらやましかったのだと思います。
母は、おそらく祖母から愛されない側の子どもでした。祖母は末っ子だったので、同じ末っ子である叔母に愛着を持ちやすかったのでしょう。
良い子をして必死に愛されようと、したくない結婚をして子供を産んだ。それでも、社会的に立派に生きて周りから褒められても、祖母の愛情は結局叔母へと注がれる。
目いっぱい自由に生きる、それでも叔母は許される。
良い子の自分は親に迷惑をかけず奨学金を取って進学してちゃんと結婚して孫の顔を見せても、愛されないのに。
そんな鬱屈が、母の「未婚子無し」への怒りの源泉だったような気がします。
一番自分を楽にしてくれる「ゆるす」
メンタルモデルワークをやって、親や先祖に対する怒りがおさまってきました。ありていにいうなら「ゆるす」が発現するようになったと言えるかもしれません。
ゆるす、というより「あきらめる」のほうが正確かもしれません。
「そうか、能力がないんだ。ならできないな」と納得がいったという感じです。
どちらにしても、なんだかすっきりしました。楽になりました。
そして、これからメンタルモデルワークの3周目をやろうと思います。
みいちゃん、ぼびさん、素晴らしいワークをありがとうございます😄
そして、共に私とメンタルモデルひもときの旅に出てくれた仲間たちに、心からの感謝を。一人では多分、ここまで来れなかった。
仲間と一緒だから、見られた風景です。
みずがめ座の新月の日に

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