先祖に思いをはせる機会の多いお盆。
スピリチュアルな観点から、先祖供養の話をしたいと思います。
結論から言うと、先祖供養とは自分の内にあるDNAの浄化である、私はそう考えます。
私は昨年から先祖調査をしております。
その中で、たいへん大きなヒーリング、浄化を感じました。詳しいことはリピータールームに書いております。踏み込んで個人情報(戸籍や写真等)をさらけ出しておりますので、一般公開の予定はありません。
先祖を調べて思いをはせることで、具体的に私自身の心にどんな効果(浄化)があったかを少しご紹介しますね。
小さなころから私は、どんなところに行っても「自分がいたら迷惑だ」と感じていました。
家の中にも自分の居場所はないわけです。
だって、私がいると迷惑なので。
しかし、世の中には優しい人がいます。
私を受け入れてくれる人もいます。
そんな人がいると「自分がいたら迷惑だ」というバイアスに適合しないので認知不協和を起こす――「あなたなんて私のことわかってない!」とメンヘラを起こして相手に嫌われるように持っていく性質がありました。
なんて面倒くさい。
相手が自分を好きでいてくれると感知した瞬間、鬼のように相手を攻撃しだすのです。こ、怖い……。
もちろん、こういった性質は社会生活を送るうえでマイナスです。
それを脳では認知できますから、自分を律して表に出さないことは理性の力で可能です。実際に私はそうやって生活してきました。
しかし、この好ましくない性質、愛を拒否する性質は相変わらず私の奥には横たわっていました。メンヘラを起こして生きるのは楽しくないです。この性質を抑え込むのに意識を払うのも正直疲れます。
そんな不可解な現象の原因を、先祖調査を行うことで知ることができました。実際に、先祖はある一族にとっては邪魔者で迷惑な存在だったのです。
私は民俗学者の宮本常一が大好きです。ですから、今回先祖調査をする際にも、宮本常一が自分の先祖の集落について文献を残していないか探しました。すると、あったのです! 昭和の時代に書かれた文献が。
そこに記されていたのは、昭和になっても江戸時代の痕跡を引きずる生々しい集落の様子でした。
歴史的背景を説明すると、先祖調査の先生からも「この集落に娘を嫁がせるのは本当に忸怩たる思いだっただろうね」と。
一言で分かりやすくいうと、お金はなくても(藩的には)格上の集落からお金はあるけど格下の集落に先祖は縁づくことになったのです。よそもので邪魔者。いたら迷惑な人。金がないくせにお高く留まって――。
そこをエネルギー的に解きほぐしていくことで、DNAという形で自分の内側に根付いていたネガティブな思念を浄化することができました。辛い思いが心の奥から解き放たれて、たくさん涙が溢れました。(涙は浄化です)
そうして、私のこの「自分がいたら迷惑だ」という思い込みを手放すことができました。人から好かれても情緒不安定にならずに受け入れられるようになりました。生きやすくなりました。
先祖の想いに寄り添うことができると、すっきりと浄化できた。
人の想いは時空を越える。
不思議です。
かように、先祖からDNAという形で受け継がれているエネルギーを浄化することは、現在の私たちにとってプラスになります。いわゆる先祖の祟りというのは、私たちの内側にあるDNAに刻まれたトラウマとも言い換えられるのでしょう。
お盆のこの時期、ぜひご先祖様に想いをはせてください。
そうすることで、自分を――自分の内にあるDNAの性質をもっと知ることができます。
先祖を詳しく調べることのもう一つのメリットが「自分の命は偶然ではない」と感じられることです。
「歴史にIFはない」と言いますが、「もしこのタイミングでこれが起こっていたら、自分は生まれていなかった」と感じる場面が、先祖を調べている一つ二つは遭遇するものです。
例えば、私の高祖父は西南戦争で死んでいます。曾祖母は幼くして両親を失ったことで、祖母と叔父叔母夫妻に育てられました。西南戦争が起こるタイミングが少しでも早かったら、曾祖母が生まれる前に高祖父は戦死していました。
私の祖父は戦争時に樺太、ソ連との国境最前線の部隊にいました。しかし、終戦の半年前、配置換えによって最前線から外されました。ソ連が不可侵条約を破棄して攻め込んでくるまさに半年前に。
もし配置換えがなかったら、最前線の部隊で祖父は戦死していたかもしれません。実際に激しい戦闘で将校レベルですら戦死しているような部隊です。
このように、「少しタイミングがずれたら、自分は存在していなかった」という地点が先祖を調べると出てきます。自分は、今、意味があってここに存在しているのだと感じられます。今自分は何らかの力によって生かされているのだ、と。
お盆のこの時期、ぜひご先祖様のことを知ってください。
自分の命の意味が映し出されるかもしれません。