今、禅僧である関大徹さんの
「食えなんだら食うな」を読んでいます。
強烈でしょう。
「食えなんだら食うな」。
食えなくなるならば死んでよろしい。
大徹師はそうおっしゃいます。
食えなんだら食うな 軽装版: 今こそ禅を生活に生かせ (Amazon) 食えなんだら飢えるのであり、飢えれば、死ぬまでである。
食えなんだら食うな 軽装版: 今こそ禅を生活に生かせ p13
実に軽がると、生きてこられた。
そして、大徹師は
「禅をやるものは妻を養えぬ。子など設けられぬ」
と明言しておられます。
自分で自分の好きな道に熱中するものは、まず家族というものを斥けてかかったほうが無難であろう。好きなこともやりたい、家族も食わせねばならぬというのは、それこそ二足のワラジであり、どだいムシの良すぎる注文である。(中略)
生き様だけではない。
死に様だってそうだ。独り身の私は、死期が来れば、自分の死期だけを見物しておればよい。
食えなんだら食うな 軽装版: 今こそ禅を生活に生かせ p11~12
あとに心残りはない。
実にさっぱりしたものである。
結婚せずに子どもも作らずに生きる人間の全てではないにしろ、一部はやはり真理への道に導かれるがゆえに、そういったものと距離を置くことになるのかもしれませんね。
生かされるなら生きる。
生かされないなら生きない。
逆にいうなら、今この画面を見ている時点であなたは確実に「生かされている存在」であります。あなたの命は、必要だから生かされています。
生かされてきた20年間
私は4月、武道の合宿に行きます。

合宿では「自分が今までどんな人生を生きてきたのか」を誕生から今まで1時間で発表します。そのプレゼン用スライドを今作っています。
そして思うのです。
「私、よく生きてるな」と。
自分の人生、破天荒すぎる😂

いや、これ、意味わからないですよね。
「専業でやってます」って言ったら、驚かれます。
でも、本当なんです。
宣伝もせず、広告も打たず、集客は主に口コミとリピーター。
私の守護霊は言うのです。
「必要な人は導かれてくるので、待っていなさい」と。
そして、待っていると、お客様が現れるのです。
これを「生かされている」と言わずして、なんと言いましょう。
お金は宇宙がすべて与えてくれる。
すべて与えられて生かされる。
大徹師は、それをこのように表現されます。
そんなことをしたら、吉峰寺の財政は破綻します、といった。(中略)
「なあに」といった。
「出せばかならずかえってくる」といった。
師の頑牛が、いつも言っていた言葉である。(中略)この場面では、ただ「返ってくる」と予言的に言った。
予言は当たった。(中略)
冒頭に触れたように、寄付をたのまれたときは、分不相応な支出もときにはできるようになった。「仰せのとおりでした」
と寺のものは、にこにこしていった。私はこのときこそいわねばならなかった。
「お前の金ではない。儂の金でもない。何が嬉しいか」――。(中略)だから、私はいつも素寒貧であり、死ぬまでそうであろうし、それに過ぎる幸せはないのである。
食えなんだら食うな 軽装版: 今こそ禅を生活に生かせ p84~86
いやはや。
お見事。
この心が大切なのですね。
僭越ながら、私もこの仕事を始めてから、常に神様に首を差し出す気持ちでやって来ました。
お客が来るなら、生き延びる。
来なければ、死ぬ。
だから、いつも首を差し出している気持ちなのです。
私は、最近まとまったお金がありました。
ありがたいことです。
皆様のお陰です。
小さな私の我は「貯金して少しずつ使えば5年は暮らせる」とこざかしい計算をしました。安定した生活ができるぞ、とほくそ笑みました。
しかし、私の守護霊はそんなことを許しません。
ブログをお読みの方はご存知の通り、守護霊は私に頻繁なワーケーションを命じました。
月の半分も自宅にはいない生活に、お金は飛ぶように消えていきました。
そうして、私は今までの価値観をリセットして、心新しく生きる準備をさせられました。
そんな中で新しいご縁も、たくさんいただきました。

例えば、私、実は神職の資格を取ろうかと考えておりました。
神様にお仕えするには、一度きちんと学んだほうがいいのではないかと、國學院大學か皇學館大学に入って学ぼうかと。
そう考えていたところ、京都のお客様が知人の神職さんと縁をつないでくれました。
昨年の年末。
京都某所。
茶室で薄茶を点てていただき、私は切り出しました。
「私、神職の資格を取ったらどうか、と思うのですが――」
その方はおだやかに仰いました。
「やめたほうが、よいのでは」
私の企ては、あっさり消えました。笑
理由は、まあ、表立って書くことでもないので……興味のある方は私にリアルで会った時にでも聞いてください。
しかし、こんなご縁、5年前では考えられもしなかったことです。
これも、お金をじゃぶじゃぶ湯水のように使って、人見知りをして縁をつぶすようなことをせず、ひたすら人と会ったからです。
これが「生き金」ということか。
そう学ばせていただきました。
そしてまた私は素寒貧になり、神に首を差し出すのでございます。
お客が来るなら生き
お客が来ないなら死ぬわけです。
つまり、今この時も、生かされているのです。
私は、揮毫をたのまれると「本来無一物」と書くことにしている。
人間、本来無一物なのである。
呱呱の声をあげたときに、ものをもって生まれた赤ン坊があるか。
食えなんだら食うな 軽装版: 今こそ禅を生活に生かせ p87
有り余る金を、あの世までもっていった大富豪があるか。
もっというなら、なまじっか、人間にものを付託したために、人を不幸にすることだってあり得る。
生かされるなら生きる。
生かされないなら生きない。
そのことを心に留め、本日も一日を生き切ります。


