ただ「見る」という愛

スピリチュアルブログ

愛情とはみること。
み尽くすことが愛の道。

「自分は何の役にも立っていない」
「自分は誰の力にもなれていない」
「自分は存在している意味がない」

そんなふうに思ってしまうことはありませんか。

実はそうではないかもしれません。
あなたは、今いるだけで、誰かに力を与えているかもしれない。

「見る」という行為で。

何もできない、無力な私

写真AC

あなたはスピリチュアルな存在が万能だと思いますか。
何でも苦悩を解決してくれる、スーパースターだと思いますか。
どんな人も救ってくれると思いますか。

私は、そうは思いません。

なぜなら、病や苦悩や挫折こそが、魂を磨くために必要な時があるからです。辛い経験をするからこそ、人として成長できる、人としての器が大きくなるという場合があります。

そういう時に天に「救ってください」とお願いしても、人間が望む形の救済はなかなか訪れません。そのプロセスを経験し、体験することこそが、その魂には必要だからです。

人生で闇に沈むときは、訪れます。
その経験こそが、魂を磨き輝かせるからです。
蓮の花は、泥水を通ってこそ美しく咲き誇るのです。

魂の試練は、その問題を肩代わりしてあげることも、解決してあげることもできません。
周りの人はだまって、ただ見ているしかありません……。

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ある経営者のお客様は、大切な存在を失ったことですっかりと魂の輝きを消沈させてしまいました。
持って生まれた素晴らしい能力も使う気持ちになれず、無気力にただただ日々を過ごす生ける屍になりました。

以前の輝かしい経歴があっただけに、その姿は無惨と形容するしかありませんでした。

私は、その方の苦しみを救うことはできませんでした。
ただ、その方がセッションに来られるたびに「何もする気が起きません」「そうですか」と繰り返すだけでした。解決はできませんでした。

何年も、そういう時間が過ぎました。

私は、本当に、何もできないなあ。
そう無力感におおわれました。
ただただ、見ているしかできない。

算命学の高尾義政先生は、こうおっしゃいます。
どれだけ占いで観ても、どうしようもないときがある。明るい兆しや希望が全く見えないときがある。そういう時に占い師がすべきことは、目の前の相手を信じ、ただ励まし続けること。とにかく、励ますこと。そうすれば、必ず上向くときが来る。

長く暗いトンネルでも
出口が見えるときが来る

私はただただ、何の力にもなれない、解決策を示せないセッションを繰り返すしかありませんでした。

しかしその方は、パートナーの励ましがきっかけで、自分を取り戻しました。
元の輝きを取り戻しました。
ビジネスの世界に復帰し、再び花を咲かせました。

私は長い間その方が消沈していた様子を見ていたので、胸がいっぱいになりました。魂の輝き、人間の生命力の強さに心打たれたのです。
それと同時に、こうも思いました。

結局、何もできなかった
私は何の役にも立てなかった……

――そう思っていた矢先に、その経営者の方からこの言葉を頂きました。

「こんな自分を見守っていてくれて、ありがとうございました」

私は驚きました。
自分は何もできなかったと無力感に打ちひしがれていたのに、彼からすると私は「見守っていてくれる存在」だったらしいのです。

そうだったのか。
目からうろこが落ちました。

そして、人というのは「側にいて自分を見ていてくれる人がいる」ということで力がわいてくるものなのだと、知りました。

自分を信じて見ていてくれる人がいる。
そう思うだけで、立ち上がれる。

「ただ見る」ということの力を、この方から教えていただきました。
「見る」は愛なのだと。

ですから、今、あなたも同じことを誰かにしているかもしれません。

「自分は何の役にも立っていない」
「自分は誰の力にもなれていない」
「自分は存在している意味がない」

そう思っていても、相手からするとあなたは「見ていてくれる人」かもしれない。力を与えてくれる人かもしれないのです。

意識しないでやっている愛。
あなたも、意識しないで相手に与えているのかもしれません。

なぜなら、そもそもすべての人間は愛の存在だから。

今やっているゆるのん会でも、「ただ見る」の力を感じます。

ゆるのん会では、言いっぱなし聞きっぱなしです。
フィードバックはありません。
ゆるのん会に来ても、解決策は提示されません。

ただ聞くだけだし、ただ話すだけです。

なのに、驚くほどに人生の流れがスムーズになる、今起こっていることの意味が理解できるという現象が起こります。

ある参加者の方は
「起こることは意味があるのだから、じたばたするのではなく、流れを受け入れようと思えるようになった」
とおっしゃっていました。

何も解決策は提示されないのに。アドバイスはないのに。

これも、「ただ在る」を尊重するから起こることなのでしょう。
ただ在るだけで、自分の人生には必要なことが起こる。自分の人生は流れによって、使命に向かう。その信頼を実感できるのが、「ただ相手の話を聞くだけ」という場です。

問題があったとしてすら、人生は順調に進む

先ほど書いたように私は

結局、何もできなかった
私は何の役にも立てなかった……

そう思っていました。

つまり、「問題は解決せねばならない」という思考にとりつかれていました。
悩みを相談されたらそれを解決せねばならない、問題があったら解決策を提示せねばならない、と。

しかし、その思考ではギスギスした人間関係をうんでしまいます。

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今の父親向け育児書には「子どもとのコミュニケーションが上手くいかないなと思ったら、アドバイスをしてしまっていないかを振り返ってみてください。アドバイスはせずに、子どもの話をただ受容的に聞いてみてください」と書かれているそうです。

なんて素晴らしい。
この話を聞いたとき、私は感動いたしました。
アドバイスをせず、ただ話を聞いてくれる男性なんて愛の化身です✨

裏返すと、それくらいアドバイスはコミュニケーションを阻害します。
アドバイスは、人間関係構築を阻害してしまう恐れがあります。
(ですから、アドバイスが必要な時は、相手との関係値とタイミングを慎重に見計らう必要があります)

アドバイスとは、かように害が多い行為。
なのに、私はどうして問題解決思考をやめられなかったのか。
それは私が母の胎内にいたころのトラウマにあります。

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母は、私を産みたくないと思っていました。
そう思うのも当然なくらい、妊娠中の母の置かれた現実はハードな状況でした。私も同じ立場ならば「子どもなんて産んでる場合じゃない」と思うでしょう。

しかし、胎児にそんな事情はわかりません。
ただただ、自分の命を疎ましく思う母親の思念を受けとるばかりです。理由もわからずとにかく、自分の命は否定されるのです。

ですから、胎児の私は必死にその状況を変えようとしました。
といっても、全く無力です。解決できません。しかし、どうにかしてその状況を解決せねば自分は殺されてしまう、というマインドで過ごしていました。

そのトラウマが原因で、私はなんとか問題を解決せねばという思考から抜けられずにいました。

しかし、ある時気づいたのです。

いくら母が私を産みたくないと思っていたとしても、私は現に産まれて生きている、と。
自分の存在を疎ましく思う人がいても、命を否定する人がいてすら、魂の計画はなされるのだ、と。

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恐れることはない。
私は自分の魂の計画を果たすことができる。
ただ、そこに在るだけで。

周りの人が自分をどう思っているかに関係なく、現実は魂にとって一番良いように、学びになるように動いていきます。
たただた愛にあふれ、感謝に満ちるその瞬間を目指して、動いていきます。

そのために、私たちは命を授かっています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あなたの心に愛と光があふれますよう、日常に喜びがあふれますよう、心からお祈りしています。

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